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(財)イオングループ環境財団の里山保全事業
第4回「北竜湖畔 小菅の里プロジェクト」
長野県飯山市小菅
平成12年4月15、16日(土・日)
2000年4月15、16日(土・日)の二日間、長野県飯山市の小菅地区で「北竜湖畔 小菅の里プロジェクト」が開催されました。主催は、財団法人イオングループ環境財団、里地ネットワーク、小菅むらづくり委員会、小菅の里協働楽舎の4団体です。
雪の残る山を刈る
「今年は雪どけが少し遅いね」
そんな地元の人の言葉を聞きながら、山道に残る雪を踏みしめて登ると、遠くからは立派な松や杉の林に見えた山には、細い木が無数に生えていて、どれも強い風と雪の重みで上ではなく横に向かって伸び、ねじれ、曲がっていました。
北は秋田県、南は兵庫県から参加した町の人、そして小菅の里の人たちは、ナタとノコギリを腰につけ、足場の悪い雪の中で、まっすぐのびることなく、お互いに邪魔し合っている木を黙々と切ります。1時間、2時間たち、昼になって一度山を下り、宿舎でご飯を食べてから、ふたたび夕方まで作業を続けます。
変わりやすい春の天気は、あいにくの雨。雪を溶かすことのない冷たい雨です。
高い交通費を出して、仕事を休み、縁もゆかりもないこの土地に遠くから来た人たちもいます。参加した理由を訊ねると「今まで、植林はしたことがありました。でも、木を切ることはなかなか体験する機会がありません。木を切ることを教えていただけると聞いて、とにかく来たかったのです」と、意外な返事が返ってきました。
木を切るイベント。
それは、厳しく、そして、楽しく、最後に達成感に満ちた2日間でした。
北竜湖と飯山市小菅地区
飯山市の中心を流れる千曲川を野沢温泉の方面に行く道から少し山を上ったところに小菅の里があり、三方を山に囲まれた小さな北竜湖があります。
小菅地区は、1300年の歴史を持つ小菅神社があり、新潟、長野の人々の信仰を集めています。小菅の里からみて北側の尾根の先に北竜湖はあります。
北竜湖は、江戸時代、もともと早乙女池としてあったところに堤防を築き水面を広げてできた湖です。北竜湖の水は雪どけ水で、ちょうど3月の終わりから4月中に三方の山から水が注ぎ込みます。今回の作業中、どうどうという水音が湖から聞こえてきましたが、これは春にだけ聞くことができる湖へ注ぎ込む水の音です。
北竜湖の水位は4月末にもっとも高くなり、その後すぐにぐっと低くなります。北竜湖の水は、下流および尾根を超えた小菅の里の田んぼや畑をうるおす大切な農業用水だからです。田植えの時期、下流の人々は一斉に、北竜湖の雪どけ水を田に引き込みます。
雪どけの水は、尾根伝いに北竜湖に流れ込むため、小菅の人々は水路がつまらないように春先はずっと見回りと掃除をしています。そして、一度北竜湖に注いだ水をもう一度里の方へと下流の水路で引き込んでいます。
北竜湖が、小菅の里の暮らしと深い関わりを持っていることを教えてくれる言い伝えがあります。
かつて小菅の里に竜ヶ池という池があり、そこに竜が住んでいました。この池の水を人々が田の水として使っていたため、やがて池の水が浅くなり、竜に近くの蓮池に引っ越してもらいました。しかし、長い年月は蓮池も浅くしてしまい、人々は困って神様に相談したところ、北の尾根の向こうにある早乙女池に移ってもらえばよいという話になりました。竜に引っ越しをお願いしたところ、竜は山をかきわけて早乙女池に移りました。その竜が通り過ぎた後は水路になり、そのため今まで使っていなかった早乙女池の水も小菅の人々が使えるようになりました。そこで、早乙女池に堤防を作って広く深い湖をつくり、竜が安心して住め、人々も水を使えるようになりました。そして、竜が住む北の湖、北竜湖と呼ばれるようになりました。
今も北竜湖は大切な湖です。その三方の山は、水を育て、人々が植林し、伐採し、薪をとり、炭を焼いた生活の場でもありました。
北竜湖畔は、毎年5月には美しい菜の花に彩られ、8月には花火が湖面を照らす湖です。山も素人目には遠くからとても美しく見えます。しかし、一歩入ると、人々から忘れられ、手を入れられなくなった荒れた山であることにいやでも気づかされます。
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