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(財)イオングループ環境財団の里山保全事業
第3回「火と草原の旅 21世紀に伝えたい三瓶の草原 放牧と野焼き、皆で参加しよう IN 三瓶」
島根県三瓶山
平成12年3月19〜22日
2000年3月19日から3月22日までの4日間、島根県大田市に近い三瓶山で、「放牧と野焼き、皆で参加しよう IN三瓶」が行われました。
主催は、地元の緑と水の連絡会議と、財団法人イオングループ環境財団および里地ネットワークで、太田市、三瓶牧野委員会、大田市保養施設管理公社が地元の後援団体として開催されました。
「21世紀に伝えたい三瓶の草原」とのサブタイトルをもつ、このイベントは、草原の野焼きを通じて、三瓶山の自然環境や農業、歴史を考えようと開かれました。
春の火の祭り〜3月22日
陽の光はずいぶんと暖かくなり、風もゆるんできた3月22日。三瓶山の西側、西の原は、まだ春というには少し早く、草原は一面枯れ草色におおわれていました。
山が草原地帯にかわるあたりから煙が立ち上り、赤い火がめらめらと燃え上がります。やがて火は風にあおられ、草原を黒く焼きながら道路の方に向かって渡ってきます。ときにはごうごうと音をたてて火が走ってきます。火は風を起こし、風が火を強めて、草原の風景をみるみるうちに変えていきます。
見物に来ていた人たちは、その火の熱と火が草原を走るはやさに、なかば青ざめながら興奮しています。
この火は、火事ではありません。
人が燃える場所や勢いをコントロールしている「野焼き」です。
春の芽吹き前に、草原を焼く野焼きはかつて全国で行われていました。
しかし現在、西日本では阿蘇の久住、山口の秋吉台台地、そして、三瓶山ぐらいしか行われていません。
なぜ、野を焼くのでしょうか?
野焼きと草原
さまざまな理由が重なって野焼きが行われます。
一番大きな理由は草原を維持するためです。草原は、牛や馬の放牧地として、また、かつては採草場として人の手によって維持されてきました。採草した草は、そのまま田畑の肥料にしたり、牛や馬の餌となって、糞をたい肥にしたり、茅葺きの屋根などさまざまな生活素材として利用していました。かつては、田んぼ1枚につき5枚分の草原がないと米がとれないと言われていたのです。
雨が多く、温暖な日本では、ほとんどの草原はそのまま放っておくと木が生え、森に戻ってしまいます。そのため、畑作には向かないところでは、森にするか草地にするかの選択が行われ、あるところでは、木を植えて森の恵みをいただき、あるところでは、草原にして土地の恵みをいただいていたのです。選択の理由は、地形的、気候的、風土的な理由です。
さて、草原にすることを選んだからといって、放っておいては草原にはなりません。
日本の草原に生える主な草は、シバとススキ(カヤ)です。1年草で、地下茎などを使って毎年芽を出します。秋になり枯れた草をそのままにしておくと、翌年は、そのすき間から芽を出すことになります。そして、だんだんと光が地面に届かなくなります。もちろん、低木なども生えてきます。
そのまま放置すると、草原として利用することができなくなります。さらに、たとえば、三瓶山では、昭和63年に草原に火がつき、周辺に燃え広がる大火となり、大きな被害がでました。草原の管理をしていなかったために、長年つもった草に観光客が使った火が燃えうつったのです。「火入れ(野焼き)を毎年していたならば、大火にはならなかった」と言われています。
もちろん、野焼きだけが草原の維持方法ではありません。人の手で草原を刈り取る方法もあります。また、牛を放牧して、草を食べさせ、草原を管理する方法もあります。
三瓶山では、さまざまな方法がとられてきました。
今、野焼きが再開され、あわせて牛の放牧も再開されました。
なぜ、野焼きなのか、なぜ、牛の放牧なのか、三瓶山の人々が自然との共生、草原との共生を模索する道を見てみましょう。
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