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真っ白な雪景色。東京に育ったぼくにとって、見渡す限りの一面の白は、少年時代に旅した遠い北国への憧れの風景でした。キュット身が締まる空気とほおが緩む旧家の薪ストーブ。止まった時間のなかで、暖を取り窓越しに外を見つめる風景の中には、いつも1本の柿の木がありました。
「渋柿をとって、田んぼに投げておくんだ。4、5日して、田んぼから柿をとって洗って食べると渋がぬけてうまいんだな。柿にあう土なんだよな。投げたっきり忘れちゃうこともあるけど、学校行く途中の田んぼには、たくさん投げておいたから、帰りのおやつにしてたね。」と福井県武生市のおじいさんが話してくれた。
子供の頃、どうして渋柿なんて植えるのかな? 全部甘柿にすればいいのにと思っていた。甘柿を接木すれば甘くなるとか、子供時代に見聞きしたまま40歳をまわった自分の印象は、つい先日この話を聞くまで、渋柿にはまったく関心がなかった。
渋の成分は、タンニンでこれは赤ワインの苦味成分と同じもの。甘柿も渋柿もこの同じタンニンをもっているけれども、渋柿は、噛むとこのタンニンの分子が破れて、唾液に溶けて渋みを感じてしまうらしい。甘柿は、このタンニンが、噛んでも唾液に溶けない性格に変化したもの。若い柿や渋柿は、水に溶けるタンニン、真っ赤になった甘柿は、水に対して溶けない性格ということだ。渋抜きの方法は、さまざまで、農協等で行っているのが一時に大量に渋抜きができて、柿が柔らかくならない炭酸ガス脱渋法、民家では、お湯に浸して渋抜きする湯抜法、最近では、焼酎などの強いアルコールに浸けて抜く脱渋法、昔ながらの干して渋を抜く方法等さまざまなようだ。
上越新幹線のトキ号が復活した佐渡では、おけさ柿が特産品になっている。大型の渋柿を焼酎に浸けて3〜4日密封する。渋柿の渋は、不溶性タンニンに変わり、渋柿はトロットした柿のシャーベットに生まれ変わる。柿はあまり好きではなかったが、これは果実というよりもデザートのようなものだ。我家でも子供に食べさせたら取り合いになる程好評だった。
渋柿にまつわる話、面白いので、知り合いの農家に電話して色々と聞いてみた。昔は、冬の仕事がないときには、手間のかかる干し柿づくりはちょうどいい仕事だったようだ。果物がなくなる冬には大切な干し柿だったわけだ。甘柿を育てたら全部、鳥につつかれたとか。渋柿なら、冬の景色を飾るほど鳥には魅力がない。人と鳥が争わなくてもいい果樹というのも珍しい。雪景色の中にあった渋柿から、日本人の生活文化がよみがえってくるようだ。
この柿の北限は、甘柿は関東より西の暖かい地域で、渋柿は、東北地方まで広がっている。詳しい北限はわからないが、岩手、秋田では見たことがあるが、青森ではほとんど見かけたことがない。柿の産地は、新潟県、福島県がきわめて多いが、岩手、山形はさほど聞かない。どうやらこのあたりに北限がありそうだ。材としては、堅く家具材や建築材として重宝されている。特にコクタンや紫檀は、独特の色合いとつやがあり最良の家具材のようだ。 |
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