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里地事務局長 竹田純一執筆原稿:地元学と里地
風の役割をになって

現代農業平成13年5月臨時増刊号
「地域から変わる日本、地元学とは何か」
里地ネットワーク事務局長 竹田純一

 
       
「風土舎宣言」という理念に出会ったのは、平成10年3月、長野県松本市の玉井袈裟夫先生の事務所に、友人につれられて訪れたときのことだった。
「風土という言葉があります。大地の表面と大気の底面の接するところ………そこを風土と名づけよう。…そこに大地だけでもなく、大気だけでもなく、第三の存在が生ずる。生物。人類をも生み出した生命。………それは風土の表現型、さしずめ風土計といってよい。………人も、人の食べものも、ともに風土の産物、身土不二。風土を見つめよ、風土を考えよ、風土を活かせ、風土に生きよ。自然に善悪なし、泣かされているものにこそ、活かすべき何かがあると考えよ。………」
「風土という言葉があります。動くものと動かないもの。風と土。人にも風の性と土の性がある。風は遠くから理想を含んでやってくるもの。土はそこにあって生命を生み出し育むもの。君、風性の人ならば、土を求めて吹く風になれ。君、土性の人ならば風を呼びこむ土になれ。土は風の軽さを嗤い、風は土の重さを蔑む。愚かなことだ。愛し合う男と女のように、風は軽く涼やかに。土は重く暖かく。和して文化を生むものを。魂を耕せばカルチャー、土を耕せばアグリカルチャー。理想を求める風性の人、現実に根をはる土性の人、集まって風土の文化を生もうとする。ここに『風土舎』の創立を宣言する」

1990年3月3日 風土舎宣言の抜粋より
この宣言は、戦後一貫して、農民の学習運動を行ない、長野県内の農村の人々の中にある暗い感情をバネに、さまざまな改善運動や風土産品を生み出した元信州大学教授、玉井袈裟夫先生(当時67歳)から湧きいでた言葉で、私の印象に鮮やかに残っている。私は、今、風性の人なのかと。
事務局長竹田純一のプロフィールは、こちらへ
       
「地元学」との出会いは、平成10年5月、吉本哲朗さんを、里地セミナーにお招きして、お話を伺ったのが最初だった。もっとも、吉本さんとは、有機農業団体に勤務していた平成2年頃から、お顔と人柄は上司から聞かされておりよく存じていたが、当時は、水俣とも地元学とも疎遠であったために8年間「知ろうとしなかった地元学(地元のこと)」であった。吉本さんの地元学セミナーから1ヶ月後の平成10年6月、水俣市の「もやい直し」をなさしめた地元学を、水俣以外の土地で、実践してみようと云うことになり、里地ネットワークの幹事をお願いしている愛知県美浜町の斉藤町長を訪ねることとなった。斎藤町長は、JA出身であり農業への想いは卓越したものがあることから、美浜の里山と農業、暮らしを調べる地元学には、大変好感を持っていただけた。「6ヶ月の間に、セミナー、地元学調査、地元学ハイキング、シンポジウム」を行う計画を早々に立て、その翌月の6月から地元学の実践を行うこととなった。セミナーは、役場職員向けセミナー、集落住民向けセミナー、実施前セミナーの計3回、それぞれ3時間づつ質疑応答を交えて念入りに行っていった。一通りの理解を持ってもらった後、「水の行方」「あるもの探し」「人探し」の調査を試みた。フィールドでの調査は、集落の方々は何かと忙しいようなので、地域づくりを実践している主力メンバーの15名とヨソモノである我々が加わり、30名での実施となった。1回目の調査で、2km×4kmほどの集落のラフな基礎調査は完了した。2回目、3回目は、この調査を継続し詳細な地図づくりを行いたいと考えていた私の意に反して、地域リーダーの方々は「きのこ狩りのハイキング」と「山芋&ムカゴ取りのハイキング」を計画していた。というのは地元学調査や地域資源調査、あるもの探し、水の行方調査というと、住民には何やら専門的な臭いがするのか、集落内の参加者が増えない。このため地元の地域振興会が考え出した智恵は、誰でも参加できるハイキング形式だった。企画が功を奏して、2回とも200〜300人を越える地域住民の参加があった。このハイキングのコース選定は、地元学調査の結果を巧みに生かして、地域にあるものを存分見てもらうコースが設定されていた。言うなれば、第1回目の地元学調査での発見と体験をハイキング通じて、参加者に重ね合わせることが狙いだった。4回目は、いよいよシンポジウム、ハイキングで見つけた地域資源を確認しに、300名を越える住民の参加があった。半年間で発見されたさまざまな地域資源が10数名のリーダーによって発表され、完成した地図を参加者全員で確認して、美浜町布土地区の地元学は、一端幕を閉じることとなった。  
       
それから半年後の平成11年6月、美浜町に、ドラム缶の竹炭窯が、30器程つくられ、老人クラブの方々を中心に、各地区で、毎日のように炭を焼いているという知らせが入った。里山を荒らしている竹を切って、炭を焼き、その炭を、浄水用、天ぷら用、装飾用、農業用、河川浄化用など、美浜町の人々全員で、何らかの活用を始めていた。連絡をいただいた趣旨は、竹炭の里になったということと、地元学を実施した布土地域では、ウバメガシを焼く備長炭用の白炭窯が欲しい。どうすれば手にはいるかという相談だった。美浜町の住民の活力は、非常に高まっていたために、町のどこを訪れても、炭焼きの煙があがり、そこに老人たちが集まっている状況が生まれていた。おもしろ半分で、備長炭窯づくりと、ジャスコ子どもエコクラブの里山保全活動、ハイキングと炭焼き体験を会わせたツアーの実施を持ちかけたところ、快諾してもらった。平成12年2月「里山カーニバル」として、ジャスコを含むイオングループ環境財団の主催で実施した。このイベントでの美浜町とジャスコとの共同作業の「縁」を大切にしていたところ、どちらからともいえない申し出があって、12年7月から、美浜町の炭焼きクラブと農家、そして、ジャスコ半田店との間で、竹炭と野菜の知多半島内、直接物流取引が開始された。美浜町の里山保全活動が、地元の大手スーパーに特設商品コーナーを持ったことで、運動の継続が可能となったような気がした。最近この美浜町では、英国のCAT、自然エネルギー学校の視察に、町民60名が自費で視察に行ったという知らせを聞いた。どうやら真剣に地域資源を生かした町ぐるみの自然エネルギーの里、循環型地域づくりを目指して動き出したようだ。この流れは決して地元学がつくりだしたものではない。風と土と水と、そして、これまでの地域が育んできた人々がつくり上げてきたものである。しかしながら、地元学は、地域が動き出すための言い訳、地域の人々全員が、楽しみながら語り合い、共通の資源を見たり触れたりすることによって生み出される合意形成のメカニズムが働き、動き出すきっかけを与えているように思える。  
       
美浜町での実践には、三重県の自治会館の方々もヨソモノとして参加していた。伊勢湾を隔てた反対側の紀伊半島では、美浜が終了してから、半年後に、市町村職員研修という形で「三重ふるさと学研修」が始まった。平成11年5月から翌年の3月までに、計8回の現場研修が行われた。平成12年度と合わせると、延べ、1500人程の、職員、区長、地域住民、ヨソモノの参加という規模で行われているために、今後の展開が期待されている。
平成12年に、私が企画したものは、山形県最上町の小学校版地元学(本編別記)、岩手県沢内村の集落版地元学、国土緑化推進機構及び長野県庁の森林ボランティアリーダー版地元学(北海道日高町、埼玉県飯能市、兵庫県、長野県四賀村)、そして、この集大成的な位置づけでとらえている環境省のトキの野生復帰プロジェクトなどがある。
森林ボランティア版では、樹木と山しか見ずに里山の保全を行うのではなく、地元学の技法を取り入れて地元住民と山との関わり方から学び、そこから、山づくりを考えていくという特徴を持たせている。
ここでは紙面の関係上、3カ年計画で実施中の環境省のトキプロジェクト「共生と循環の地域社会づくりモデル事業(佐渡地域)」の取り組みとその後の展開に関する私案を紹介させていただくことにする。

 
       
佐渡で、地元学に期待されていることは、一言で云えば、21世紀の共生と循環の地域社会を担う人材の堀り起こしと住民活動の活性化を促進することだ。この実践のために考えている活動プログラムは、以下の通りである。

■表■

もちろんプログラムの根底をなすのは、地域住民による地元学調査だ。別な言い方をすれば、これまでの佐渡から、これからの佐渡の向かうべき方向性を、集落ごとに集落住民に考えてもらうことにある。地元学を実施するか否かはもちろん集落に委ねられている。ヨソモノがとやかく云える問題ではない。地元学を実践する地域は、原則公民館活動で実施してもらうので、全世帯参加型の実施を原則に願いしている。平成12年度は、両津市野浦地区で開催することができたが、今後この野浦の継続調査はもちろん、さらに、周辺10地域ほどに拡大して実施できれば、この共生と循環の地域社会づくりも、何らかの形ができてくるのではないかと期待している。


目指しているのは、地元学調査 → 地域計画の策定 → 共生と循環の地域づくりの実践だ。このステップにくると、地域自治に関する先進地の仕組みが参考になる。
 
       
北海道標茶町では、昭和50年代前半に始まった「1A1P運動」(一つの地域に一つの誇りをもつ運動)が現在も実施されている。鳥取県智頭町では、「日本ゼロ分のイチ村おこし運動」が、平成8年より実施されている。熊本県小国町では平成2年に「小国ニュービジョン」住民自治のシナリオがひかれている。
ここでは紙面の都合でその詳細を示せないので、概念だけお伝えすることでお許しいただければ、
自分たちの地区の範囲は自分たちで決める。(地区領域の決定)
地域内の事業は、自分たちで考え、住民がやること、行政がやることに分けて、役場に提案する。(事業内容、事業分担と予算の起案)
役場は、地区の事業計画を検討し限られた予算が効率的に機能するように事業を選定実施する。
21世紀が始まり、持続可能社会とは何かを根底から捉え直さなければ、まったく先の計画が立てられないところにまで、今の社会システムは到達してしまっている。目前にも、地方分権と市町村合併の流れがある。佐渡という広大な島全域が、短中期で共生と循環の地域社会となるとは思えないが、少なくとも限られた集落での実現は可能であると信じている。地元学から地域計画へ、、そして、その計画が、総合学習、風土産品開発、ツーリズム、流通などの専門的な技術も取り入れて、共生と循環の地域づくりが実践できればと願っている。
 
       
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