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里地文庫
寄稿レポート:糸長浩司の欧州エコロジカルレポート(5)
湖林の国・フィンランドのエコハビテーション&ムーミン谷の人々の実験


 今回の2ヶ月間のスカンジナビアの調査旅行も最終地のスウェーデンに来ています。忙しい旅でしたが、収穫のあった旅でした。まだ充分にそしゃくできないままの現地報告ですが、フィンランドの10日間の調査報告をお送りします。
 私にとって、フィンランドは始めての国であり、また、事前に準備を充分にできないままの飛び込み的な調査となり、多少不十分な報告となりますが、ご了承ください。サワー・ホリディーシーズンで調査には不適当な時期でもあり、また適当な時期でもあったし、フィンランドの人達はとても親切に対応してくれ、予想以上の収穫を得たと思います。
 尚、4月に報告した英国のシティ・ファーム関係の報告が、ビジュアルな形で『BIOCITY』の最新号に掲載されていますので、お読みください。

糸長浩司 日本大学生物資源科学部助教授
パーマカルチャー・センター・ジャパン代表

目 次
0.フィンランドの親切な女性達
1. ヘルシンキのグリーン・ハビテーションの開発状況
2. ビレッジ・アクション・ムーブメント
3. 多様なエコビレッジの始動
 
     
0.フィンランドの親切な女性達

(1)ヒルカ・テラピラ
 フィンランドの調査の旅は、この国の女性活動家のリーダー的な存在でオルターナティブ・ソーシャル、オルターナティブ・エコノミーの研究者でもある、ヒルカ・テラピラとの対談から始まりました。彼女も、ノルディック・ネットワークの構成メンバーの一人です。また、英国で読んでいた『REBUIDING COMMUNITIES-EXPERIENCES AND EXPERIMENTS IN EUROPE-』という、新しいコミュニティ形成の試みに関する本で、フィンランドの農村地域でのビレッジ・アクションに関しての執筆者でもありました。これは偶然でしたが。
 彼女は、フィンランドのボトムアップ的な動向や、オルタナティブな動向に関して昔から詳しく、国際的な活動も数多くしている。彼女からは、後で紹介するビレッジ・アクションの活動に関しての情報を得た。また、彼女の専門としている女性のジェンダー的な役割と評価に関しての社会・経済的な価値転換に関する講義を受けた。ヘルシンキ等への大都市への人口集中に関しては批判的であり、それは一方で農村社会の疲弊化を招くわけである。
 彼女のテーマは、女性のシャドーワークに関する問題。しかし、シャドーワークという言葉は嫌っていた。資本主義的な金銭の経済に入らない仕事が社会の半分の仕事としてあり、これをどう評価し、社会的に位置づけていくかが彼女の関心事のようである。フィンランドの女性の社会的な活動に関しての大きく関わっているようだ。先週も女性の活動家の大会に出席していたらしい。資本主義の主流の経済とは異なる別の経済のあり方について考えている。また、LETSに関しても関心が高いようだ。ただ、現在、フィンランドではLETSは数えるほどしかないという。

(2)マイサ女史
 フィンランドの調査の最後に会った女性建築家であり、環境省の外郭団体の環境研究所の土地利用計画研究者のマイサ女史である。当初は、環境省のエコロジカル担当の女性と会う予定が、彼女が足の怪我をするというアクシデントから急遽代役を務めてくれた人であったが、研究所の運転手付きでヘルシンキ市内の開発地や開発予定地を案内してくれ、午後は、孫と一緒に自家用車でウオーターフロントやヨットハーバー、島全体が民家園になっている場所を散策しながら案内してくれた。
 彼女との環境省での討論の話題は、エコビレに関してである。また、小生が書いたビオシティの最新号での英国のシティ・ファームには興味を示していた。ただ、ヘルシンキではその種の活動はないようである。
 昨年度の研究所の調査内容として、フィンランドの比較的エコロジカルに暮らしている居住地での環境負荷調査を実施しており、そのレポートでは、やはり、通勤や移動のための自動車の環境負荷が高い点を指摘していた。小生が、エコビレの経済的な自立性の重要性を指摘した。ここの研究所のセミナーのテーマとして、農村地域での環境共生型で省エネ型の居住地開発も研究テーマになっているらしい。農業的な自給性や、コモンハウスを持つコミュニティ的な点でのエコビレの検討はしていないようで、田園地域でのエコハウジングの集まりという程度の定義での調査のようである。自然資源としての、木材の有効需要開発ということもあるし、農村地域の活性化と、環境保全というテーマとの関連もあろう。ただ、現代段階の彼女たちのエコビレの定義は、基本的に省エネ型の住宅建設をテーマにしている感じである。エコビレとしての社会性やコミュニティという観点は抜けている。比較的ハードな面での関心のようである。
 ただ、この種の農村地域の集落調査はあまりしていないのではないか。日本の我々の農村計画分野の集落研究の特殊性は、日本の集落形成の特殊性によるものであろう。貴重な研究と貴重な存在であり、その情報をもっと国際的に発信していくことが強く求められていると痛感した。この種のテーマでのセミナー開催を企画しているようで、小生も日本の事情に関して説明してほしい旨要請されたが、8月末ということで断念した。またの機会を考えたい。

(3)KEIKO YOSHIZAKI
 吉崎さんは、フィンランドの都市計画の見学では日本人の多くが世話になっている日本女性で、ヘルシンキ市の都市計画局のプランナーです。地域計画研究所の井原さんの知り合いで、紹介していただき、事前にヘルシンキの都市計画の歴史、最新の開発情報に関する資料を英国まで送っていただき、事前勉強が出来たことに感謝しています。あいにく、今月はサマー休暇で会うことが出来ませんでしたが、市の都市計画局の資料コーナーに訪問して、資料等を入手できました
 
     
1.ヘルシンキのグリーン・ハビテーションの開発状況

1)ウオーター・フロント・ハビテーション/ルオホラハティ地区
 ヘルシンキのウォーターフロント計画で有名な東の湾岸地区のルオホラハティ地区である。アメリカのウォーターフロント賞を受賞しているという。かつての倉庫群等を取り壊し、運河沿いに集合住宅を建設したもので、歩道沿いに運河があり、親水性もあり、ボートにも乗れて、釣りもできるし、冬にはスケートもできる場所のようである。建物の中庭は緑化と子供のための公園がきれいに整備されている。建物の基本的にはパッシブ・ソーラー型で、かつ、ベランダでのガラス壁の使用で快適な半屋外空間をセットしている。ただ、デザイン的には、簡潔な直線形で、多少変化に乏しい建物景観の場所もある。建物ブロックも風が通るようにしたためか、あるいは、日照の考慮か、中庭に対して、一部開放されているブロックもあり、ヨーロッパの完全に囲い込む形での街区形成はないので、明るく感じる。案内してくれたマイサ女史は評価していた。

(2)ヴィーキ研究都市
 ヘルシンキの最新のエコシティ・プロジェクトのVIKKIに行く。ヘルシンキ大学との共同開発地であり、研究学園都市としても目的もあるらしい。バイオセンターの施設は超ハイテク的な施設であり、その先には、畜産関係の施設の敷地の隣に、池を抱えた木造住宅群の小コミュニティが建設されていた。木造住宅のエコ的な試みの場所のようである。多少、林の分布状況が少ない感じではある。
 主要道路を挟んで、住宅地の整備が進行中であり、今後、どのような景観や環境が展開されるのか不明で、即断は避けたいが、剥き出しの岩盤の上にかぼそく林立する林の中に、中層住宅や低層の住宅が建設されている箇所を見る限りは、森林内の住宅建設ということの以上のイメージは湧きにくい景観である。今後、どのような展開を示していくか。現在まで建っている建物の外観では、さほど、エコ的な魅力は感じない。高速道路等の騒音も気になる。

(3)田園都市構想の遺産
 ヘルシンキ市は、近代都市計画と近代住宅建設の歴史を一遍に短時間の内に市内で学ぶことが出来る場所である。特に、ガーデン・シティの概念での住宅地整備が時代を追って存在している。
 まず、念願のタピオラ住宅地を見に行く。ヘルシンキ市外の市境にあり、海に近い場所にある。センター地区は、ショッピングセンターが固まっている。センター内の池とその周囲の建物とみどりの環境は良い。高等学校のある周囲の木造のテラス形式の住宅建物は、文字通り林の中に隠れる感じで、林間別荘地の雰囲気である。便利なセンターから歩いて、すぐの場所であり、日本では考えにくいほど、木を残したゆったりとした設計である。この住宅地の周囲は、市民農園を住民達が端正によくやっている。防風垣根も設置されている。農と林間住宅の組み合わせである。
 次に、センターを挟んで反対側のその後の開発住宅地を見る。低層住宅もあるが、中層の住宅の立ち並ぶ。3タイプの住宅地である。しかし、大きな岩が剥き出しの上に、中層の住宅棟が建っているさまは、強烈なものがある。岩の上に国土を築いてるこの国ならでは風景か。この夏は雨も少なく、暑い日が続いているので木々も決して元気があるという感じではなく、薄い表土の上で賢明に空にまっすぐ伸びようとする細い木々に囲まれた住宅棟が、これもまた、日光を求めて、その上にそびえ立つという感じか。しかし、老人達の買い物姿を見かけたが、毎日、この岩丘を上るのも大変ではあろう。
 タピオラの偉大さは、居住密度と、森林との共存状況であろう。林の中に住みたいというこの国民の願望が、都市の中でも実現させているということか。
 カピュラ木造住宅地区(WOODEN KAPYLA)を見に行く。1920年代の田園都市開発地である。中心市街地のはずれであり、路面電車が現在も林の中を走っているのは魅力的である。落ち着きのある住宅地であり、規模は小さいが、英国のレッチワースの魅力とはまた異なる魅力がある。フィンランドの木造建築の板張りで、個々の建物は多様な色を使っているが、林の貴重のみどりが強い点、よいコントラストをなす感じでよい。玄関の衣装はこっている。区画街区であるが、それぞれの中央にコミュニティハウスが建っている。その横は、現在は共同の駐車場となっている。住宅は、総二階建てで、外壁は木で、各家は自由な色を塗っている。庭が比較的広く、パラソルを広げて団らんを楽しんでいる風景も得られる。この周囲には、その後のオリンピック村等の住宅開発があるが、中層建てであり、環境的には劣る感じである。敷地の余裕のというものの大切さを感じる。
 その後、アールト設計のピルッコラ地区(PIRKKOLA)の田園都市に行く。これは、小さい扇型の住宅地であり、真ん中を小川が流れる林の公園がある。建物は、古い感じのものもあったが、建て替えられたものも多く、残念であるが、元々規模が小さい住宅であったので仕方ないかもしれない。敷地には余裕があり、パラソルを広げての日光浴が楽しめる住宅地である。

(4)ポスト・モダン建築の暴力
 田園都市の遺産に住み、また、厳しい状況の中でみどりとの共存を果たしてきたヘルシンキもまた、ポスト・モダンというバブル的な建築の犠牲者的な場所を作ってしまっている。バスから見ると、突然周囲の景観と異なる賑やかな景観が目に入る。ピック・フオパラハティ地区(PIKKUHUOPALAHTI)である。
 ポスト・モダンの暴力を感じる場所であり、フィンランドもこの-嵐にやられた感じの場所である。建築雑誌の総集編のような景観であり、また、建築学科の卒業設計の全ての模型を一斉に並べたような感じの住宅の町並みになっている。ここの住宅では、環境的、コミュニティ的な配慮はあるようだが、個々の建物の自己主張が強く、混乱の極みの風景を醸し出している。マイサ女史にここの話をすると、彼女も困ったものという感じの表情をされた。
 
     
2.ビレッジ・アクション・ムーブメント

(1)過疎化の中での下からのビレッジのコミュニティ維持の格闘
 ヘルシンキ市での田園都市型の住宅地の整備や、その後の住宅地等の開発は、国民の大都市への集中化に対する都市計画的な正直な技術的な対応であるが、一方で、都市への人口集中は、農村地域の過疎化と、それに伴う農村社会、文化の崩壊を招いている。この状況はフィンランドにおいても同様である。西洋の中では比較的遅く工業化社会に突入したフィンランドでの都市への人口集中は、60年代から70年代であり、この時期に大規模な都市への移住が続く。農業の近代化もそれに拍車をかけた。気候的にも、大きな都市は南岸に位置している。
 もともと、広い農村地域の中で、分散的居住形態での50〜500人程度での村の社会システムや文化は崩壊の危機に陥った。こんな中で、意識ある村人達の自主的な活動が始まる。行政的な対応を待つのではなく、自主的に自分たちでの新しい「ビレッジ・コミッティ(集落委員会)」の組織を形成していったのである。村の再生、再構築の下からの試みである。この新しいビレッジ・アクションは、学校の維持、郵便局の維持、コミュニティの維持、ショップの維持で始まる。これを可能にしたのは、フィンランドの農村に残る「TALKOO」という無償の共同活動の文化であるという。最初の集落委員会の結成は、1970年代だという。
 多くの農村地域で学校の統廃合がされ、500近く学校が廃校になっているという。このことは、農村に住むことの難しさを引き起こしている。そんな中で、農村地域のここの集落の人達が助け合いながら、色々な知恵を出し合って農村集落の存続のための事業展開等をしているのが、ビレッジ・コミッティであり、現在3000近くの組織が結成されていて、日々の活動では、3万人近い農村の人達が活動に関わり(平均して一集落委員会が10人の構成委員である)、その影響力は50万人の農村の人達の生活に影響力を示しているという。ヘルシンキから遠いほど、その活動の数は多いようである。
 ボトムアップ的な活動であったが、近年では、EUの金銭的な支援のあるプロジェクトもある。このコミッティの全国連絡組織が出している新聞には、むらむらでのイベント等の紹介が乗っている。いわゆる村おこし的な活動、ツーリズムや、行事の復活、村の歴史資源の発掘と評価と出版、新住民の定住化策等、行政活動ではなく、あくまでも、意識的なビレッジの人達の自主的な活動であり、その発展系では、協同組合的な会社組織としての経済的な自立も出てきているという。フィンランド版の下からの村おこしである。近代化での過疎化の中で、農村地域での下から新しい形での、経済及び文化、生活の維持のと再生のための活動である。
 ビレッジ・アクションのキーワードは、自分たちの手で、自分達の責任で。

(2)農村振興策としてのビレッジ・アクションの国策としての組織化
 この農村住民達の自主的な活動は、農村地域の活性化策として中央政府の関心を引くようになり、また、EUの農村地域での地域戦略にも影響を及ぼしたようである。近年では、国からの金銭的な援助や、EUの援助もあるようになったという。
 ビレッジ・アクションの全国的な組織も結成され、ビレッジ・アクション・ニュースを出している。そこの事務所で担当者のリストと対談ができた。彼は、農林省のルーラル開発の担当者でもあり、この民間の活動の支援活動をしている。近年の活動としては、農村地域の地域開発政策として、ここのビレッジ・コミッティーの活動のリージョナル的な連絡や連携を如何に形成していくのかという、地域政策的な課題に取り組み始めているようである。
 この先進的な活動は、他のスカンジナビア地域の国にも波及したようだ。フィンランドのこの活動は「もう一つのノーベル賞」を92年にもらっている。この活動は先進国だけでなく、後進国での地域活動の見本となる評価であった。
 この下からの動きに関して、中央政府や、EUは関心を示し、現在は支援策を打ち出している。この民間の下からの努力で農村地域の活力が保てることは良いことである。日本の場合、EUの対策に関して、農業政策でのデ・カップリングに特化した分析が多く(新聞では、新農村基本法はデ・カップリングを実施するようですが。)、農村地域のコミュニティとしての活力の維持や向上に関する農村社会学的な分析と評価が遅れているのではないか。農家民宿程度の振興策での話ではない。フィンランドでは、下からのコミュニティ活動の復活や新しい試みで、地域経済を、独自に企業として、協同組合として多様なものを経済的にも確立し始めている。ラップ地域のように非常に生活の厳しいなかでの定住化を維持していくための意気込みでもある。そして、このビレッジ・コミュニティの全国連絡組織が出来ており、また、地域的なビレッジ・コミュニティ活動の広がりが出てきている。このホームページも充実化し始めている。
 私の関心としては、この既存の農村住民による「ビレッジ・コミッティ」の自主的な活動とエコビレッジの活動の接点がないか。接点を探すことが、今後のフィンランドでの農村地域のエコ的なライフスタイルの発展につながると考えて、エコビレッジの関係者に、「ビレッジ・コミッティ」の話題を出してたが、その存在を知っていて関心を示している人と、あまり存在をしらない人もいた。ただ、その活動との連携性の必要性を指摘すると、大いに関心を示すエコビレの関係者もいた。ただ、彼らの一般的な認識は、農村に元々居住している人達はもコンサーバーティブであるという評価である。ここら辺は、日本的な事情とさほど変わらない。

 
     
3.多様なエコビレッジの始動

 エコビレッジの形成は、フィンランドでは新しいものであり、その内の4カ所を訪ねた。4カ所とも性格の異なるエコビレッジの試みである。

(1)工芸家達のエコビレッジ・カタジャマキ
 ヘルシンキから電車で2時間ほど北東の中心都市タンペラに行き、ここで乗り換えて更に北の町、森林と湖のきれいな農村の町、ビルプラで下車。カタジャマキ・エコビレッジの代表者で、フィンランドのエコ・ソサエティー・プロジェクトの責任者的な存在のカイが迎えに来ていた。「フィンランド・エコ・ソサエティー・プロジェクト」では、45程度の異なるコミュニティが農村地域に形成されているという。同乗していたものは、ヘルシンキに住むフレンド・オブ・アースの関係者であった。ここのエコビレッジは、ヘルシンキから来る人も多いようである。迎えの車の中古もので、我がPCCJの車と似ている。カイの風体もヒッピー風であったが、大学での専攻は社会学であったという。奥さんは、クラフトの仕事をここでしている。
 ここのエコビレッジは、1997年の末から始動している。現在7人の大人と子供達数人が住み、夏になると倍増するという。湖をいただく森林の中にある。周囲の森林は国の保安試験林である。元はヘルキンシ市のサナトリームで、その後は、ヘルシンキの若者達のサマーキャンプの場所にもなっていたらしい。それを彼らが借りてエコビレッジの試みを始め、その後、土地をヘルシンキから購入して整備を始めている。購入代金は50万マルク(約1000万円)であるという。資金は、環境系の銀行から借りたらしい。土地を購入する上では、アソシエーションを組織化して登録されている。このアソシエーションが土地と建物を購入したことになる。彼らは、このプロジェクトに関して中央政府に資金援助の申請をしているようたが、まだ獲得はしていない。手応えはあるようだが。
 敷地内には、大きなセンター的な元サナトリームの施設があり、一階は、共同の食堂とリビングルームである。二階が個別の個室となっている。他に木造の住宅が3棟ほどと、フィンランド式のサウナ棟がある。また、キャンプをしたり、ミーティングをしたりするためのティピが数棟建っている。トイレは、集団のコンポストトイレが入り口の近くの林の中にある。コンポストは、すぐ下の藪の中で土になる簡単なものである。将来は、この場所にグリーンハウスを建てたいらしい。野菜生産は、その近くで簡単な野菜畑がある程度であり、とても自給をしている風ではない。冬期間もことも考えて、グリーンハウスを計画しているのであろう。
 景色のきれいな所であり、敷地の岩からは、西に広がる湖水がきれいに見える。精神的にも自然を豊かに感じられる場所である。湖水に面した一角は、このコミュニティの所有の土地になっていて、ティピの中に、伝統的なフィンランド式のサウナがあった。この周囲は、キャンピング用地として整備する予定のようである。
 ここでの現在の収入は、ハンディクラフト関係のコースや、夏のサマーキャンプやツーリズムでの収益が主のようである。夏の期間はいつも来ているというペルー人で日本にもいたことのある男性と話す。彼は、子供が学校にあがるので、現在はタンペラに住んでいるという。彼は、フィンランド・マス・ストーブを製造する職人でもあり、建物内には、各部屋に大規模な円筒形のマス・ストーブが設置されていた。一度燃焼した発生したガスを再度燃焼させ、煙突のふたを閉じ、その燃焼熱をストーブの塊に吸収させ、その輻射熱を暖房として利用するというものである。非常に熱効率のよいストーブである。
 ここでは、手工芸者と環境教育的なスキルを持っている人達を集めたいようである。日本での事例としては、飛騨高山のオークビレッジや北海道のアース牧場を連想させる。内容的には、これらのの人達が金を出し合って、活動拠点を森林の中のエコ的な暮らしの場を形成し、その賛同者達は夏休み等の休暇をここで過ごすという場として形成されつつある。彼の構想の中でも、ここでの各種の手工芸の開発と、それらを素材としたキャンプやコースの開催を考えているし、実際には試みている。私が以前、農水省関係での農村開発企画委員会での仕事で、『グリーン・ホリディー』の報告書で提案したエコ・エデュケーション・ビレッジのフィンランド版的な感じである。

(2)大規模バイオダイナミックス農場との連携型エコビレッジ・オーク
 ヘルシンキの東70kmほど行った川岸の倉庫群で有名な歴史的都市のポールボーの近郊のイスナスという村のはずれにあるエコビレである。
 このエコビレは木材の積み出し用の港に面した森林地帯の中にある。元の製材工場の跡地を購入して、エコビレとしてスタートしている。スタートは自然発生的なものであるという。ここから3kmほど西に行ったところに、ヘルシンキ近郊で有名なバイオダイナミックス農法で150fという規模の経営農家があり、そこに働きに来ていたり、研修に来ていた人達が自然発生的にこの近くの森林内に住みだし、近年、港に面した廃工場跡地を購入して、農場とは別に、協同組合会社を設立した上で、農場も含めてたアソシエーションとしてのエコビレを設立したという経過である。
 これもまた、パターンの異なるエコビレである。農村地域で如何に、生産的で、かつ、エコ的な暮らしを、集団でどう形成していくのかという新しいテーマに対する若い人達の新しい試みといえる。協同組合の方のビジネスは、ツーリズムが主で、その他には、ボート製作、クラフト、喫茶店等がある。工場跡地の大きな工場を改造して、コンサートが開けるようにもしている。元、従業員達のための宿舎が残っており、それを改造して宿舎にしている。中央には、喫茶店とツーリストのためのホテルが古い建物を改造して整備されている。調査の時も、ヘルシンキ当たりからの宿泊客がいた。小さい木材港に面した森林の中の林間避暑地的な雰囲気もある。
 ここの購入代金は、建物も含めて、敷地2.5fで50万FIM(約1000万円)であり、銀行からのローンで購入している。共同組合への加入の供出金は、一人2000FIM(4万円)であり、安い。若者が多いことによるのであろう。メンバーは、共同組合が15人程度で、エコビレッジとしてのアソシエーションの方は、40人程度という。経済的にはまだ自立はしていなく、メンバーは外に働きに行っているものもいるし、また、失業保健をもらっているものもいるという。
 突然の訪問に快く、案内をしてくれたヤンナ君は、農場に研修で来て、その後、ここに住み着いた青年であり、25才である。米国に農業の勉強に行き、その後、世界各国を周り、後進国での集落の自立を農業的な側面から援助したいというのが夢のようである。親父は、外務省勤務である。バイオダイナミックス農法の勉強をヘルシンキでしている時に、この農場を研修で訪れ、感化されてこのプロジェクトに参加しているという。彼の農場での仕事は、ハーブ等の園芸部門の責任者のようである。

(3)シュタイナースクール型のエコビレッジ・ケウラ
 フィンランドで一番規模の大きいエコビレッジである。1997年に誕生している。フィンランドのエコビレッジの誕生は、この時期であり、最初の頃の部類にはいる。現在の代表者はユッカという独身の中年男性である。気さくな、もと小学校の先生で、現在はこのエコビレッジプロジェクトに専属で、失業保健はもらっているようだ。
 ここの敷地は、全体で50fという。もとは、農業関係の試験場であったが、その後、色々に利用され、一次は、アルコール患者の保養所でもあったが、その後、ここの自治体が購入し、その後、彼らのエコビレッジ・アソシエーションが購入している(フィンランドでは、比較的アソシエーション(NPO)は、容易に結成できるようだ)。農地と森林があり、池にも面している環境はよいところであり、建物は古い農場の建物も含め、30程度あり、もちろん、池に面したフィンランド式のサウナ小屋はキレイに整備されていた。現在建物の一部を改修中であるが、この資金はEUからのもので、部門は教育関係の資金を活用しているという。
 購入価格は、2百万FIMで5000万円程度である。会員は30人程度であり、ここに住む人は、最初に5万FIMを供出する。日々の食事は、一緒に食堂で食べているが、食事代として、月に一人当たり、500FIMという。生計は、個別の生計である。居住者の中には年金受給者の老人もいる。若い人達は、供出金を出さないで、部屋をレンタルしている人もいる。ここでの収益は、完全自立できるだけのものではないが、ツーリズムでの宿泊経営と、各種の環境教育等コースの開催である。農場管理や家畜の管理での10程度の作業グループ内容がある。敷地の南斜面では、バイオダイナミック農法での菜園が広がり、その先は、湖である。その横にフィンランドサウナが新しく設置されている。
 ヘルシンキから自転車で3日間かけてここの農場に夏期休暇の間手伝いにきているエスペラント語を話す男性がいたり、年金受給者でここの最初のプロジェクトから参加している女性は、フィンダフォーン等に興味を抱いている感じで、色々探して、このプロジェクトに参加して幸せそうにしている初老の婦人もいた。
 夕食後、日本でのパーマカルチャー的な試みの話や日本の農村の様子に関して話をした。集まったメンバーは、まだパーマカルチャーに関する知識はほとんどない状況であるが、シュタイナーのバイオダイナミクスに関しては熱心な人達である。集まった中に、中年以上の女性が3人いたが、彼女たちはみんな離婚している。老後の一人暮らしではない、集団での暮らしでエコ的な場所を求めて、このエコビレに来ている人もいるようだ。資金のある人は、供出金をだし、資金のない若者は、レンタルで住むというスタイルである。ただ、彼らの仕事の場はここではなく、外であるという課題もある。日常的な農作業を安定的にする労力不足が問題になってくることも考えられる。
 ユッカとの話の中で、フィンランドでは森林と湖水へのアプローチは全ての国民に与えられているという。テントを張るのも自由である。英国のパブリックフットパスの限定されたアクセス権はおかしいという感じで言っていたのが印象的である。本来は、土地はみんなのものであるという意識はフィンランド人始め、スカンジナビアの常識なのか。森林の民の生きる知恵か。土地を個人の占有権な意識は、農業生産的な行為が生み出したのか。自分たちが労力を投入したという資本投下的な意識が所有観念を生み出している。自然が与えてくれるものをとるというシステムでは、自然へのアクセス権は本来自然的なものであり、全ての人に自由であると考えるのが、自然である。そんなことを考えるおしゃべりではあった。

(4)コハウジングからの発展系のエコビレッジ
 ムーミン谷とムーミン博物館で有名なフィンランドの第二の都市タンペレの近郊でのエコビレッジの試みである。現在進行形のビレッジ形成である。案内をしてくれたのは、コンピューター会社を自営している独身の青年ユハで、このエコビレの代表者である。
1) フィンランド型コハウジング
 ここで、フィンランドのエコビレのもう一つの流れが明らかになる。都市近郊でのいわゆるコハウジング的な居住地志向の人達の動きの中で、エコビレの発想が出てきた。彼らは、6年くらい前にエコビレッジの試みを検討しはじめて、仲間を集め討議をし、タンペレの近郊に土地を探していたらしい。その検討の過程で、早めに居住地形成を始めたグループは、既に別の場所に、コハウジング住宅を作り住んでいる。
 このコハウジングの形式は、デンマーク等のものと似ている。タンペレ大学の近くであり、郊外住宅地の一角にある。中庭を二つ挟んだコハウジングで、中庭は、子供達の遊び場になっている。入り口は、共同駐車場があり、入り口の階段を上がっていくと、コモンハウスがある。共同のキッチンとダイニング、リビングがあり、大型の洗濯機の部屋もある。フィンランドにも他にもこの種の集合住宅があり、参考にしたと言っていた。ただ、ここのユニークさは、コハウジングの下に、地下室を持っていて、共同の食物のストック場所がある。とても涼しい天然の冷凍庫であった。共同購入でのストック場所になっている。買い物が不便な分、この共同購入は便利なようだ。共食は、週に3回程度である。
 建物の外側には歩道があり、それにそっていくと、共同の小さな野菜畑がある。そのそばは、キッチンの残飯と落ち葉等でのコンポストの場所になっている。ここの運営システムは、住宅アソシエーションで運営している。10戸が個人所有で、22戸がレンタルで、3戸がアパートメントである。レンタル料金は、90●●で3400/月FIM(約7万円)だから、けして安くはない。案内してくれたユハの友人は、子供達を育てる環境としては良い環境であると言っていた。
 
 2)サマー・コテージ
 途中、フィンランド版のクラインガルテンを案内してもらった。ドイツ的な感じである。ただ、夏だけの利用で、宿泊も可能である。ただ、一部には、市との契約で、一年中住むこともできるようになっている所もあるという。サマー・コテージという表現を使っている。森林や、湖水の中にこの種もものも見えるし、鉄道そいに都市近郊で目にすることもある。
 
 3)エコビレッジ・カンガサラ
 テンペラから自動車で20分程度の郊外地の森林と農地を含んだ場所である。全部で9fである。森林と農地を含み、9軒のの住宅建設が予定されていて、現在は3家族が住み、その他は建設作業中である。
 土地は、カンガサラ町から借りている。ここの組織形態はプライベート・カンパニーと言っていたが、一種の有限会社的住宅組合と考えてよいだろう。供出金は、最初に8万FIM(約160万円)である。敷地全体の借地代は、年で2.6万FIM(55万程度)で非常に安い。
 エコビレの入り口には、幼稚園がある。また、バスの便も中心都市のタンペラに近いことも魅力であるという。郊外住宅地としての条件を要求していることになり、自立型のエコビレッジではない。自然を含み、農業の出来る郊外コハウジングということか。ここら辺が、フィンランドでの「エコビレッジ」の言葉の定義とも関係してくる点である。まだ、整備は全体の3割程度の完成という感じである。
 個々の家は、各自の自由で建てている感じで、基本的な構造は、建設会社に頼み、その後は、個人でDIYで建設作業を進めている。完成までには、2年程度はかかるのではないか。ユハの家は、まだ穴を掘っただけである。彼の建設予定地の前の家は、建築家夫婦の家で、土台は、コンクリートであるが、木造建築で外観は普通の家だが、内装は、木造と石積みで美しい室内を形成している。各家は、トイレはコンポストである。臭いはしない。処理の方法に感じ工夫している。大と小は分離してコンポスト化している。木材を横に積んでいく、フィンランド型のどっしりとした木造住宅もある。建築関係の居住者が3組であるという。そのほかに、幼稚園の先生、エンジニア、消防士である。
 敷地のほぼ中央部に、コモンハウスを現在は兼ねているチップを燃料源とした共同ヒーティング小屋がある。入り口には古い畜舎があり、その周辺は、古材が集められていた。建物は、森林の中に立っている。この森林の前に、農地に当たる場所が展開されている。ただ、現在は、まねごと程度の農業をしている程度である。土地は、砂が多く、農地として整備していくには時間がかかりそうである。窒素固定の野草のレンゲが植えられていた。農家に売れるという。この農地の一角にこのエコビレの雑排水の共同処理施設が稼働していた。一次貯水とその後は、おがくずと砂を使った処理場所で、その後は、植物浄化で最後にプールとなっている。
 ここのエコビレッジは、行政からの資金援助を得ている。この浄化システムを実験的な位置づけで支援を得ているし、共同のセンターヒーティング用のシステム等がそうである。エコビレを建設するために、当局の許可を得る必要があり、タンペラの近郊のコミューンに提案書を提出して、ここのカンガサラは好意的な対応をしてくれたこともここに決めた理由のようである。タンペレは興味を示さなかったという。
 ユハの話の中では、色々な形のコミュニティ、居住地の形があることが望ましいという意見で一致いた。また、かれらのコハウジングからエコビレへの発展系の試みは、フィンランドで最初のものではないかという。都市のマンション的な住まい方ではない、田園環境、自然環境、そして、人間関係での共的な住まい方で、かつ、自分たちで創造していくという作る過程も生活の一部として楽しんでいるような居住地形成を求めているのかもしれない。経済的な自立性は、各自の経済的努力によるという緩い形でのコミュニティー形成であり、コミューン形成ではない。
 どちらにしろ、色々な試みが、その発想の元に、実践にこぎ着ける制度的に自由さが北欧にはある。日本に今、欠けているのは、この自由な実践、実験的な試みが進める条件整備と機会の提供、制度的な仕掛けの改革等が不十分であるし、発想の広がりが乏しい。もっと自由な発想での、新しい試みや挑戦が展開できる国になっていかないと、閉塞状況のまま、終焉を迎える国になってしまう危険性がある。北欧に学ぶ点はこの点であろう。
 
       
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