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地元学ネットワーク 吉本哲郎 【2005/09/03】
水俣の再生は、人々の心の再生から始まり、今、環境先進地と言われている。その契機は以下の通りだ。
事例1 「水のゆくえ」をみんなで調べた。
・水俣再生を環境から始めるために、水に着目して、水と暮らしの関わりを住民と協働で調べた。
・「山、川、田、畑、簡易水道、上水道、自家水源、井戸、池、農業用水路、用水の井堰、水道の管路、排水の流れ先、雑木山、自然林、自然神
(山の神、水神、田の神、荒神さん)」を調べて1/2500の地形図に色塗りし、主なところを写真にとり貼っていく。
・調べてわかったことは、森の変化が川の水量に影響していたこと、水が忙しくなっていたこと、川もまっすぐになり、
山の道は雨のときに川になり、水が早く下流にながれていくようになっていた、そして村の佇まいは水がつくっていたこと、だから、
美観ではなくて生存風景であること、などである。
・水のゆくえを調べて、森と海、暮らしとつないでみたら、いろんなことが見えてきた。
事例2 絵地図「水のある風景」をつくった。
・川に関する情報、魚やホタルなど生き物や暮らしぶり、川の様子などを網羅した絵地図を作成し住民に配布した。自分たちの思い出の川を守り、
子供たちに伝えていくために。
・作成してみたら、川を中心とした生き物たちと人の暮らしの曼荼羅のようになった。
・人も生き物も植物も水なしでは生きられないからであろう。
以上の二つの事例に表現したことがら、作成してわかってきたこと、ほか調べてみて見えてきたことがある。
●その1 自然とは何だろう?
自然は人だけでなく多くの生命の存立する生命基盤である。
自然は大きければ大きいほどいい、多様であればあるほどいい。
自然は元に戻ろうとする力が働く
●その2 再生とは何だろう
Aさん:「森(山)、川、海を守らなくっちゃ」
Bさん:「何を守るのかい?」
Aさん:「だから、海とか、川や森」
Bさん:「そこには人がいるのかい?」
Aさん:「・・・?」
Bさん:「海や木、森とか川を守るのでなくて、森(山)、川、海のある暮らしを再生することじゃないかなぁ 人との関わりが、
どうかなんだから」
●その3 人の参加できる技術を(大熊孝)
どこかに村人たちの力・技術でできるところを残しておかないと、ものは長くもたない。
●その4 自然との回路が大事
「女の人を見ていると山菜などの獲物がないと山には入らないよなぁ。何かとってくる」
「川はヤマメ,アユ、コイなどの釣り、また泳いだり、テント張ったり、芋煮したり、写真とったり、などの回路があると、
大事にするようになるし、川そのものの仕組みやら、働きなどがよく見えてくるよ」
同感である。
「昔は、川はほとんど生活の一部だった。でも今は川で洗濯もしない。なんだか川は遠ざかってしまったようだ」と、ある村人が語ってくれた。
●その5 村の知恵で、ゆっくり扱うこと
「昔は、冬場に山の道をみんなでつくったりしていた。しかも人力でやっていたから、結果的にゆっくりとしかできなかった。
それが自然となじませながらやったことになった。村人たちは、山仕事の帰りに、道の土が雨で流れないように、排水のため、
横に切りながら帰っていた。それが、一箇所に雨が集中しないことになって満ちを守っていた。また、村の人たちはどこが危ないか、
水が出やすいか、崩れやすい地形なのか、風当たりは、などの知恵を持っている。それも、山の道が安全な道になっていったことにつながった」
でも、今は、専門家と称する人たちが来て、やってしまう。村の知恵は素人といわれて、いかされなくなった。
●その6 地元学より
・調べた人しかくわしくならない。行動に結びつかない。
・知の植民地になるな
・経済には、貨幣経済、共同する経済、自給自足の経済の三つがあるのに、貨幣経済の考え方だけで解決しようとしているのかもしれない。
● その7 哲学者の内山節、鬼頭秀一前東京農工大学教授、大熊孝新潟大学教授による飯沼哲学塾対談より
<小さな世界への回帰が始まっている。内山節(哲学者)>
内山 これまで私たちは大きな世界に出て行くことが知的で立派な人間のたどる道だと思ってきた。でも、
大きな世界には一人の役割が見えてこない。地球環境だといっても、無責任になってしまう。足元のことからしか始められない。
私たちは役割のみえる小さな世界に暮らしていたほうがよっぽど幸せだったのではないか。」
われわれが、普遍的なものとして教わったことが、実は欧米ローカルの理論や思想
にすぎない、ということもわかってきた。
<あいまいさ、深い世界・技術は、割り切れないものが見えてこないと>
鬼頭: 合理主義にもとづいた知性は、割り切れないもの、あいまいなものを、うまく取り込むことができない。
そういうものと調和できる精神が必要な時代、あいまいに耐えられる精神が必要な時代になっている。
内山: 深い世界は、割り切れないものが見えてこないと、とらえきれない。
大熊: 深い技術は、あいまいさから逃れられない。河川の技術を例にとれば、自然や人と川の関係自体があいまいさを持っているのだから。・・
・
<場所と時間から切れたものが学問となった。地域という場所と時間を失ったシステムは
退廃する。自然との関係、人間との関係が見えていないものはだめになる>
大熊: すべてのものは場所と時間軸があって存在している。ところが、
場所からも時間からも切れたものが普遍的な知識として学問の対象になった。
鬼頭: 地域という場所と時間を失ったシステムは、短期間のうちに退廃していく。
ローカルな世界にこそ真理がある。思想はローカルなものである。
大熊: 具体的な自然との関係や、人間との関係が見えていないものは駄目になる。
2005年09月09日 | 里の再生
