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私の海辺つくり(木村 尚)

NPO法人 海辺つくり研究会 理事(事務局長)木村 尚(きむらたかし)

NPO
 最近、注目をあびるようになったNPOですが、Non Profit Organization(非営利組織)の略語です。 NGOと混同して使われている方がいますが、NGOは非政府組織ですから、NPOの中でも特に海外で活動している団体を指して呼んでいます。 意志を同じくする人たちが集まって社会貢献のために非営利で活動している訳ですから、その中には、行政の方もいますし、研究者もいますし、 関連企業の人もいますし、学生もいますし、まったく他分野の企業活動をしている人もいます。エコオバサン (ご本人達がそう言っていますのであえて使わせていただきました)などは最も熱心に活動している人たちです。 東京湾を取り巻くこうしたエコオバサンを集めるだけで、たいへん強力な勢力になります。
 このNPOですが、阪神淡路大震災を契機に、救援活動をしていたボランティア団体が、 何の身分の保証もなく位置付けも不明確なまま活動していたことに、問題意識を持たれた議員の方が集まり、 議員立法で法制化されでき上がったものです。しかし、見方を変えると、これまでの繁栄を創ってきた社会システムですが、 そこに空白領域や隙間が生じ、そういったところに問題が発生しがちなので、 それを埋めるように自然発生的にでき上がった組織と言えるのではないかと考えています。ですから、 東京湾をとっただけでも様々な活動をしている団体があります。最近、国レベルの委員会でも、 そうした人たちに参加を求めるケースが増えていますが、得てして、各論の分科会には参加できず、 NPOだけ集められて意見を聞かれるというケースが多いようです。それだけ、認知が進んでいないということかと思います。 NPOとどう付き合ってよいか解らないと言う行政の方もいるようですが、基本は人間どうしの信頼関係です。行政の方も、 NPOも同じく社会を良くしていこうと考えているわけですから、接点が無いわけはありません。 まずは目線を同じくして参加してみることが大事だと思います。
 ところが、ここで問題が発生するケースがあります。行政の方が仕事でやっているのに対し、NPOなど市民活動団体は、 日常は普通に仕事をしていて、土日などの休日に活動していることが多いからです。休日も惜しんで社会貢献をやっている人たちから見ると、 おかしく感じられるのです。それでも、信頼関係ができると、そんな問題などすぐに解決できます。一度、呑んでみることも必要かもしれません。 少なくとも、我々は、NPOの略語は、Nonbe Profesional Ojisan Obasanの会と言って楽しみながら活動をしています。

 
汽水域
 汽水域とは淡水と海水の入り混じる区域を指します。東京湾で言えば、満潮時に海水が河川を溯上する河川域から、 淡水の影響がある東京湾口まで、汽水域と言えます。これまでは、島根県の中海宍道湖や霞ヶ浦などの汽水湖などで使われていましたが、 海外でEstuaryのRestorationが言われるようになって以降、国内でも多く使われるようになってきました。環境面で考えると、 人間の活動によって一番大きくダメージを受けてきた場所と言えます。干潟もこうした場所にありますし、生物的にも、 こうした場所に浅い箇所や藻場がないと一生の内の大事な時期が過ごせないというものも多いようです。東京湾でも、 この汽水域の環境の再生が重要と言えるのではないでしょうか。
 この汽水域ですが、4年前から「汽水域セミナー」というセミナーを開催しています。1年目は、横浜市、2年目は東京都で開催し、 「パートナーシップによる汽水域の環境復元」をテーマとしました。3年目は横浜市で、4年目は千葉県で、それぞれ「人の近づける汽水域 (三番瀬)の環境復元を目指して」というテーマで開催しました。東京湾で活動する多くの団体の実行委員会形式で開催し、 多くの方の共感を得られるようになりつつあります。もちろん環境の保全や復元が大きな目的でしたが、もう一つの大きな目的に、 様々な活動団体の交流と言う側面がありました。当初は行政の方に参加を求めても、どこまで泥に埋まるか解らないから参加できない。 行政の研究者であれば問題ないから、研究者に参加してもらうといった話もありましたが、2年目以降は、 行政の担当者が積極的に参加してくださるようになりました。特に、やはり事業官庁の方には、積極的な参加をお願いしてきました。 当事者どうしが離れたところから眺めているだけでは、何ら解決するものがなく、やはり直接話しをしていくことが重要と考えたからです。
 NPOのところで社会システムの問題点のお話をしましたが、この汽水域、 二つのものが交じり合うという暗示的な意味を持たせたかったというのがあります。例えば、行政と市民、河川行政と海岸行政、建築と土木、 研究者間にもあったかもしれません。こうした隙間を埋めていく努力が今必要とされているのではないでしょうか。

脚立釣り
 東京湾の風物誌とも言われている脚立釣りですが、昭和40年代の後半に埋め立てられる前の、 横須賀で見られたのを最後にやられることは無くなったと聞いています。今は東京湾で絶滅したと言われているアオギス (シロギスよりは大型で味はシロギスの方がいいようだが、釣り味は良かったらしい。)を対象に行われていた釣りのようですが、 江戸前の干潟ではウナギ釣りやハゼ釣りも行われていたようです。アオギスがいなくなったことで衰退した釣りではなく、 脚立の立つ干潟や浅場が無くなってしまったのが、この釣り方法が衰退してしまった原因です。 浦安市の郷土史博物館でアオギスの飼育と脚立釣りの様子を見る事ができますし、上野にある東京釣具博物館で、ほとんど美術品ですが、 そうした釣具を見ることもできますから、一度ご覧になってはいかがでしょうか。
この脚立釣りですが、昨年、釣り好きの仲間と再現してみようということになり、横浜市金沢区にある野島の干潟で再現してみました。 やってみると解るのですが、脚立が立つようなしっかりした砂地盤の干潟でないと不安定でできません。 世の中にはやってみて初めて解ることも多いようです。私はやる人でありたいと心から思います。言う人はたくさんいるのですが、 やる人はそう多くありません。市民活動ですが、社会的に意義のあることと考えられている方、是非、やる人になっていただきたいと思います。 私の市民活動ですが、休日がほとんどつぶれます。楽しくやっていないとできることではありません。最近、 ようやく家族からも認知されるようになりました。釣具で思い出しましたが、有名な釣竿作りの名人と言われている「東作」がいます。 今も何代目といって名前を継承されていますが、江戸時代、この東作が、継竿を初めて作ったと言われています。江戸時代、 交通が混雑することもなく、長い竿で充分だった時代に、何故、延竿でなく継竿をつくる必要があったのでしょうか。一説によると、 東作が婿養子で、昼間から釣りに行くことが憚られたため、目立たないように継竿を作る必要があったのではないかと言われているようです。 そういった意味では、私の活動もようやく継竿から延竿になったようです。環境面からの話だけでなく、 文化的にも干潟は再生する必要がありそうですね。今度は、脚立釣りだけでなく、簾立て遊びも復元したいと考えています。

赤い魚、青い魚、黒い魚
以前、東京湾でかつて漁業をやっていた漁師の方にお聞きしたのですが、東京湾の環境が悪化して、最初にいなくなったのが赤い魚で、その後、 青い魚がいなくなった、最後に残ったのは、黒い魚だったそうです。魚の色でいうとイメージしやすいですよね。 赤い魚の復元はすぐには難しいですが、せめて青い魚がいられるような海を復元したいですよね。赤い魚がいられるような海を目標に掲げて、 青い魚がいられるような海を、すなわち、できるところからやっていくというのも重要かと思います。隅田川の河口で活動している団体 (隅田川市民交流実行委員会)は、シラウオを呼び戻せるような海を復元したいと活動をしています。 東京湾で絶滅してしまった生物はたくさんいるのですが、高級スシネタで有名なタイラギもそうですし、 昭和30年代の前半までは江戸川の河口でも取れていたハマグリもそうです。ところが、 最近になってタイラギが見つかったという話を聞きました。ハマグリが増えてきているという話もありますが、どうやらシナハマグリのようです。 生物的に言うと、海外の種は持ち込んではいけないことになっていますが、どうして水産だけ許されているのでしょう。不思議ですよね。 赤い魚を復元しようというときに、赤い魚を連れてきてしまうのはナンセンスで、あくまで赤い魚がいられるような環境を復元するのが重要です。
この考えが無いために失敗してしまったのが、今はどこの河川にも山のようにいる鯉です。 鯉にとってもかわいそうなことをしてしまったのではないでしょうか。こんな話はありますが、でもあきらかにタイラギは自然発生と思われます。 東京湾、果たして良くなったのでしょうか?毎月のように東京湾に潜水していますが、良くなったとは決して言えません。 海底にはイオウ細菌が繁茂して、貧酸素で無生物の状況が長期間に渡っています。ただし、 少し良くなったような兆候が見られるようになったのは、バブルがはじけた後です。一説によると、製造業が海外移転したのと、 不景気で排水が改善されたからだと言われていますが、本質ではないですよね。経済的にも、 環境的にも良くしていく方法を考えていきたいものです。

私の海辺つくり
私はNPO法人海辺つくり研究会というところに所属し活動しています。 活動の中で「夢ワカメ・ワークショップ」という、子どもたちを主役に、 富栄養の原因ともなっている窒素やリンを吸収し光合成を起こすことで酸素を放出し海を浄化する機能を持っている、 また他の生物の成育場としての役割も持っている海藻(ワカメ)を育成することで、東京湾を浄化すると同時に、 身近な海をもっと知ってもらい東京湾の環境について考えてもらおうという趣旨のワークショップです。 東京湾で活動している団体の実行委員会形式で開催しています。当会の他、海をつくる会、磯遊び研究会、かわさき・海の市民会議、 水辺を記録する会、カナカナ生物調査会、海の森づくり推進協会などです。今は順調にいっている活動ですが、 当初は実施に至るまでにたいへんな苦労がありました。港湾区域を利用するには、許認可が必要になります。ところが、この許認可、 前例がないからといっておりないのです。行政と交渉を続けている間に、使用する予定だったワカメの種糸が生長を始めてしまい、 とても子どもたちに扱わせるサイズではなくなってしまったのです。そこに助け船を出してくださった企業の方がいました。 生長を始めるのが遅かったコンブの種糸を届けてくださったのです。何とかスタートにこぎつけることができましたが、 このコンブ待てど暮らせど大きくなりません。顕微鏡で見るとりっぱな種がついています。どうしたことかと、その起源を調べると、 どうやら2年生のコンブだったようです。通常、東京湾で養殖しているコンブは品種改良された1年生のものだったために、 うっかり本来は2年生であることを忘れてしまっていたのです。子どもたちに事情を説明すると同時に、大人のミスであることをお詫びし、 子どもたちに議論をしてもらいました。あまり大きくはならないが予定どおりの日程で終わらせる案と、 本来の生長を見極めるため何らかの方法を考えるという案です。子どもたちは感動的な議論をしてくれました。そして、 本来の生長を見極めるために、北の海へ疎開させようということになりました。前代未聞のコンブのお引越し大作戦です。ここで、 助け船を出してくれたのが国土交通省でした。以前は同じ管内であった岩手県釜石の事務所に連絡をとってくださり、 釜石湾にコンブを疎開させることが決まりました。引越しは無事に終わりましたが、 そうなると子どもたちも釜石へコンブを見に行きたくなります。そうして実現したのが、夢ワカメワークショップ・釜石ツアーです。 夏休みに釜石までバスで移動し、コンブの様子を見ると同時に、釜石の海で自然体験をしようという企画です。もちろん釜石市では、行政を始め、 地元企業、漁協などが受け入れ窓口となり、地元の尾崎小学校が全校を上げて歓迎してくださり、子どもたち同士が交流を図ることができました。 今年3月には、釜石の子どもたちが横浜を訪れ交流を行います。このように、こうした活動をしていくためには、 本当に多くの人の熱意と協力がなければ実現しません。私の海辺つくりですが、決して一人ではできないのです。幸い私の周りには、 熱意を持って志を同じくする仲間がたくさんいます。それは市民活動を行っている仲間だけでなく、行政、研究者、企業、漁業者など様々です。 東京湾でもこうした信頼や連携の輪が徐々に拡がっていくのを、心から願ってやみません。

子どもたちの自然体験
夢ワカメワークショップ釜石ツアー、大成功に終わったのですが、一つ重大な問題に気づかされることになりました。 都会の子どものことですから、自然体験の経験が決して多いとは言えません。中には海水浴が初めてという子どももいました。 釜石の子どもは自然が豊かなところで住んでいるので、海での遊び方には当然詳しいだろうと先入観を持っていました。横浜の子どもに、 「釜石の子どもに海での遊び方を教わろう。」と声をかけたときに釜石の小学校の先生の顔が曇ったのです。「実は、 最近の子どもはあまり海で遊びません。」と言うのです。都会の子どもと交流しながら海で遊ぶというのが、本当に珍しいことだったようです。 船で釜石湾を遊覧したのですが、地元の子どもも初めての子が多く、漁師の子どもでも、自分の家の船で沖合いから、 自分の住んでいるところを見たことがないというのです。最近、都会の子どもの自然体験の話がよく出ます。たいへん重要なことだと思います。 地方でも都会からツアーで人が来ることを期待しているようですが、実は地方の子どもこそ自然体験をやらなくてはならなかったのです。今回、 横浜の子どもと釜石の子どもが交流することで、共通の目線で海を見つめることができました。これがきっかけで、 今後も交流が続いていくと思いますが、この交流の中から身近な海を大事にする心が芽生えてくれることを期待したいと思います。
ところで、東京湾でも同じ話を聞いたことがあります。漁業者の方が、自分の子どもを船に乗せたことがないという話です。昔は漁業の村は、 漁業を中心とした海辺の文化があったのだと思います。海のお祭りもそうでしょう。しかし、都会から大きな人口が押し寄せることで、 その大きな人口による新しい文化が生まれます。そうなると古くからある海辺を中心とした生活の文化が衰退していくことになります。 子どもたちも、自分の家が漁師であることを隠しているという話も聞きました。漁師であることが解るとイジメの対象になるというのです。 こうした悲しいことが起きないよう、将来を担う子どもたちを主役に、 東京湾の環境だけでなく文化も再生していく必要があるのではないでしょうか。そして、再生する場所は、 できれば子どもたちが自転車で行くことのできる範囲毎に欲しいですね。

夢ワカメ・ワークショップ

魚食 文化
釜石ツアーですが、子どもたちの問題で、もう1点気づくことがありました。釜石での大歓迎ぶりには、恐縮するばかりで、 特に漁協主催のバーベキュウはすごいものです。ちょうどウニ漁の解禁とも重なったこともあり、 ウニやホタテの浜焼きでそれはもう大感激でした。こうしたものが育つ三陸の海の環境には本当に脱帽です。しかし、 子どもたちの表情が全てとは言いませんが、必ずしも芳しいものではありません。聞いてみると、「う~ん、ハンバーガーのほうがいいや」 と言うのです。正しくおいしいものの味が子どもには判らないものなのでしょうか。今や超高級品になってしまった海産物ですが、その一方で、 次世代の主役たちがその味を判らないということに危機感を感じざるを得ません。こうしたことに危機感を抱き、活動されている方がいます。 「ウーマンズフォーラム魚」の白石さんです。機会があったら一緒に活動されるのもいいことではないでしょうか。以前、 アメリカへ行ったときに、グラスボートに乗り魚を見る機会があったのですが、案内する人が何を見ても、レッドスナッパーだの、 イエローテールフィッシュだの言うのです。しかし、どうも魚の名前の付け方に愛情を感じません。 日本の魚食文化を大切にしていきたいものです。

都会と地方
こうして、いろいろな方と交流する機会も多いのですが、地方の方に会うと、 「木村さん、そろそろ東京湾はあきらめて、地方に残っている自然を大切にしていきませんか?」という話をされることがあります。もちろん、 残っている自然を大切にして保護あるいは保全していくことも必要だとは思います。もしかすると、今、見ておかなければ、この先、 失ってしまう自然はたくさんあるのかもしれません。先ほど来、子どもたちの話をしていますが、地方の方こそ、身近な自然の大切さ、豊かさ、 そしてその恩恵に鈍感でいるような気がしてなりません。そうした時、地方の方には必ず言うのですが、 「私にとって身近な東京湾をまず大切にして自然環境を再生しないと、地方の方はみなさん、 ダメになってしまった東京湾を真似しようとするでしょ?」東京湾内での交流や連携の話が出ていますが、 身近な自然環境を再生していくことと併せ、地方の方との交流もますます重要になってきています。今、 7省庁の副大臣がプロジェクトティームを組み、7省庁合同で、「都市と農山漁村の共生・対流国民運動研究会」というのが立ち上がりました。 その中心となる人達としてNPOが協力する体制ができつつあります。NPOは、コーディネーター、 あるいはインタープリターとしての役割が期待されているのです。是非、皆さんも、やる人になって参加していきませんか?

アマモ場の再生(アオリイカの卵)


連絡先:NPO法人海辺つくり研究会 事務局
電話&FAX:045-321-8601 E-mail:umibeken@nifty.com

2005年06月17日 | 海の再生