2001/08/31 (金) 10:06p.m. 食材がいっぱい!

食材がいっぱい!


2001年8月31日(金)曇のち晴れ 

昨日は事務局長の竹田、今日はボランティアの3人が事務局を離れたので、今晩からは3週間以上ぶりに事務所で一人です。たまには質素にレトルト・カレーでも食べようかと思っていたら、事務所に戻るや否や帰省中の大家さんのお婿さんが「下のじいちゃんから預かった」といって買い物ビニール袋にいっぱい収まっている野菜を届けてくれました。大勢人がいたということで届けていただき、ありがたいことです。ちょっと、時間を要しますが一人でも消費できそうな量です。
しかーし、野菜を保管しようとして、ビックリです。まだまだいろいろと野菜があるではありませんか! これは大変!と思い、食材チェックをすると。トマト 25個、ピーマン 23個、カボチャ 1個半、ナス 15個。スーパーで買ったシシトウ 1パック、同じくインゲン 1パック、同じくセロリ− 3本。その他いつのまにか食材がいろいろと増えています。既に器にあけられた「もずく」など日持ちしないものまであります。ここの所、全て食事は人に任せていて、美味しい食事を楽しませていただいていたのですが……。しまった!食べたいものを作ってもらうのではなくて、食材チェックもしなければいけなかった。出川くん、もどってきて存分にピーマンの肉づめを作ってくれないかしら。ただし、ひき肉だけでなく、半分とは言いませんが2、3割はパン粉を混ぜてね。

ということで、本日はメニューを変更して、トマト、ナスなどがたっぷり入ったコンソメ・スープです。丼でたっぷりいただきました。2,3日は同じメニューかな、健康的でしょ。


2001/08/31 (金) 10:04p.m. 夏の終わり

夏の終わり


2001年8月31日(金)曇のち晴れ 

寝冷えによる風邪で鼻がズルズル、のどがゲホゲホ状態がまだ続いていて、ここのところ栄養剤のお世話になっています。半袖半ズボンでは、朝晩は少々肌寒いです。

8月31日というと、子ども達にとっては夏休みの最終日。
僕が夏の終わりを感じ始めたのは、まずはお盆直後に帰省客が一気にいなくなった時、そして海で泳いでいてクラゲの群れを見た時。やっぱり、大人になっても8月31日。月布施をはじめ周辺の集落では、7月に建てられた灯篭が、本日8月31日をもってそれぞれの家で片付けられました(写真は分解中の模様)。サザエ・アワビ漁も今日でおしまい。
今は耳を澄ますと、パソコンのファンの音に混じって、秋の虫たちの音色、目の前の川の流れる音が混ざって聞こえてきます。もう、秋だなぁ。

夕方、ボランティアで来ていた池原さん、加藤さんを新穂村にある「トキの森公園」に案内しました。いつものように「トキの森公園」の仲川さんが案内してくれました。仲川さんの話によると、ここ数日は来場者の数も1〜2割ほど減った一方、子どもの夏休みの課題ということで親からの質問電話が多くなっているそうです。これも夏の終わりを象徴する出来事なのでしょうかね。

2001/08/31 (金) 0:20p.m. また来るよ、佐渡!

また来るよ、佐渡!


2001年8月31日(金) くもり 【記述:加藤】

28日からよそもんセンターにお世話になって早四日目。今日でおさらばと思うとなかなか寂しいです。朝昼晩おいしいごはん!みんなの手作り料理や刺身はほんとに最高!海も山もきれい!いうことなしなのです。
 来年から公立で必修になる総合的な学習の時間。それを学校外の第三者がどのように関わって行けるか、という問題に興味があって、里地ネットワークが両尾小学校で行う地元学の授業の打ち合わせに参加させていただきました。学校の先生達に、まず授業の趣旨を理解してもらい、お互い納得した上で授業を実施することって、外部が関わる上で不可欠なのだな、と実感しました。
 九州人(私)も知らなかったすてきな佐渡、おいしい佐渡、けっこう濃い佐渡、知らない人にもしってほしいな。また来るよ、佐渡!
<写真右から2人目が加藤さん>


2001/08/31 (金) 0:38a.m. 総合的な学習に地元学

総合的な学習に地元学


2001年8月30日(金)雨一時くもり 

本日の「地元学」の後、今後の展開を先生方と検討しました。
その結果、まずは「総合的な学習」として、両尾小学校区の椎泊、両尾、羽二生、入桑、大川の5集落でそれぞれ「地元学」をやり、それを「まとめ」、そして次の展開を練るということになりました。

日程は下記の予定です。
■2001年9月14日(金)5、6時限目
*雨天の場合は、9月18日(火)に延期
【内容】子ども達、じいちゃん・ばあちゃん、よそもんが一緒に各集落を地図、デジタルカメラ、タモ、色鉛筆などを持って歩きます。

■2001年9月21日(金)5、6時限目
【内容】9月14日と同様。

■2001年9月28日(金)5、6時限目
【内容】過去2回のまとめ

興味深い展開になってきましたが、各集落に「よそもん」をということになると、6、7人の応援が必要になってきますね。う〜〜ん、ちと人集めに苦労しそうですね。




2001/08/31 (金) 0:37a.m. 両尾小学校・地元学 その3

両尾小学校・地元学 その3


2001年8月30日(木)雨一時くもり 【記述:池原】
〜地元学から総合学習へ in 両津市両尾小学校〜
今日の先生は、海のこと・山のこと・生活文化とそれぞれ得意分野を持つ地元のおじいちゃんおばあちゃん3人です。小学校の先生5人と里地スタッフ・大学生・新穂在住のメンバーなどが参加しました。途中、子どもたちの飛び入り参加もあり、20人を超えるにぎやかな一団で両尾の集落や棚田を歩きました。
 私の地元学体験は先月の月布施集落が初めて。私のようなヨソモノにとっては、地元学を通じて地域の特性や良さを深く知ることができるので観光旅行では味わえない醍醐味もあります。おかげでこの夏佐渡2回目!ますます佐渡にはまりそうです(笑)。
 





2001/08/31 (金) 0:36a.m. 両尾小学校・地元学 その2

両尾小学校・地元学 その2


2001年8月30日(木)雨一時くもり 【記述:出川】

「先生方と地元学練習体験〜両尾にて〜」
両尾で、先生方と地元学の体験研修を行うということでそれに参加した。おじいさんとおばあさんと共に、途中からは飛び入りの何人もの子供たち何人も混じって、集落の上か海辺の方に降りてきながら調査をした。はぜを組み立てるために栗の木と杉木をうまく組み合わせる知恵や、生き物を捕まえたり、お地蔵を見つけてその由来の話を聞いたり、木登りをしたり(といったももちろんそれは子供たちがしたのだけれども<私はそれをあっけにとられて見ていました(笑)>)本当に盛りだくさんの一日だった。この試みが今後うまく進んでいけばすばらしいものだと思う。明日には佐渡を離れるが、また必ず来島してこうした活動に関わっていければと切に思った。どうもありがとうございました。

「今日の夕食のお料理」
両尾の先生方との地元学研修が終わった後は、局長さんを港に送り、そして食材を買い、待望の夕食である。昼間動き回ったので大変お腹がすいた。今日の夕食は超豪華料理である。大きなお魚2匹分のお刺身、ピーマンの中に混ぜ物なしのひき肉をぎっしりと詰めたピーマンの肉詰め炒めなど(といったも料金自体はそれほどかかっていないらしい。というのも刺身にしたイナダは2匹で150円。)である。
ピーマンの肉詰炒めは私が作った。それに100%混ぜ物なしの肉を詰めるというおこないは私生活においてはありえない(笑)。で、できばえは、自分で言うのも何だが、大変よかった。その他、池原さんのさばいたお刺身、加藤さんの炒めたナス、どれもこれもおいしい。中島さんもご満足の様子。楽しい夕食でした。

<追記:中島>
どちらかというと僕は食べる人なので、訪ねてきた方々には、佐渡の食材を使って料理の腕をふるっていただいています。今回の若い方々は、油をふんだんにつかった料理、イナダの刺身と格闘している娘……。少々量にはビックリしましたが、脂ぎった料理も偏食もせず、それぞれの料理を皆で楽しむことができました。




2001/08/31 (金) 0:34a.m. 両尾小学校・地元学 その1

両尾小学校・地元学 その1


2001年8月30日(金)雨一時くもり 

朝、雨音で眼が覚めました。両尾小学校の先生方と行なう「地元学」を雨の中でやるのはやだなぁ、と憂鬱になりましたが、事務所を出発する頃には雨も上がってくれました。
来年、創立100周年を迎える両津市立両尾小学校。総合的な学習の時間の中で「地元学」手法で、学校の99年と地域の99年を捉えたいとのことで、6月に「水辺の生き物しらべ」参加依頼で伺ってから、何度か先生方と検討を重ねてきました。いろいろと心配事があったようですが、まずは先生方が体験してみてから導入するかどうか考えよう、ということになり、今日の「地元学」となりました。

じいちゃん2人、ばあちゃん1人の案内で両尾の集落を地図とデジタルカメラ、色鉛筆、タモをもって歩き始めました。途中、両尾小学校に通う子どもに出会い、「一緒にこない」と声を掛けたら、両尾小学校に通う両尾の集落の子どもは全員が集まってくれました。こうなると、俄然はりきるのが里地ネットワーク事務局長の竹田。「今日は長靴はいらない!」と先生方に伝えておきながら、自分はしっかりと長靴姿。子ども達を前にタモを受け取ると水路の升の中をバシャバシャ、グリグリとタモを入れていきます。しまいには水の中にまで入って。この動きに刺激されたか子ども達も、先生方も夢中に水辺の生き物を探し始めました。結果、ドジョウ、ヒル、メダカ、サワガニ、タイコウチなどを観察することができました。



2001/08/29 (水) 10:23p.m. 女子大生、大漁!

女子大生、大漁!


2001年8月29日(水)晴れ 

昨日から筑波大学4年生の池原亜紀さんと加藤由美子さんがボランティアとしてやってきています。彼女たちは昨晩食べたイナダの内蔵などを餌に、朝、舟付場の周辺でカニカゴを仕掛けていました。夕方、そのカニカゴを引き上げにいき、なかなか戻ってこないなと思っていたら、事務所前で近所のばあちゃんたち数人と屈んで話し込んでいます。何事かと思い、僕らもその輪の中へ入ると、バケツの中には黒と白のシマシマのシマダイの子が7匹。それにフグ2匹、クロバチメ1匹。調理の仕方、うまいの、まずいの、と話が弾んでいます。こうしているとまた通りがかりのばあちゃんが立ち寄っていき、うんちくをこねていきます。僕はこれまでにこんな大漁だったことはないのに、と少々ひがみ根性が……。彼女たちが捕らえた魚はフライにされ、我々の胃袋に収まっていきました。

2001/08/29 (水) 10:21p.m. アグリチェックの堀井さん

アグリチェックの堀井さん


2001年8月29日(水)晴れ 

夕方、佐渡農業改良普及センターの堀井修さんが事務所を訪ねてくれました。
岩首の農家が水田ビオトープを作ったが生き物が少ないという報告を受けて、佐渡産のメダカを届けた後に立ち寄ってくれました。堀井さんは、「自治体”農”ネットワーク」の代表を務められており、「アグリチェック」という農地のまわりでの生き物調査を展開されてもいます。我々が進めている「水辺の生き物しらべ」と通じる所もあり、今後の展開がおもしろくなりそうです。

我々は、今、堀井さんのお仲間がまとめられた下記書籍をバイブルに活動を展開しようとしています。とーてもお薦めの本です。みなさん、是非、本屋さんでお求めの上、一緒に活動を展開しましょう!

『「たんぼの学校」入門編』
【文】宇根 豊、【絵】貝原 浩、【版元】(社)農村漁村文化協会(2001年)、1800円(税込み)

『「百姓仕事」が自然をつくる』
【著】宇根 豊、【版元】築地書館(2001年)、1600円+税
 

2001/08/29 (水) 10:19p.m. ビオトープ計画

ビオトープ計画


2001年8月29日(水)晴れ 

昨晩は飲んでそのまま寝てしまい、明け方の寒さで寝冷えをしてしまいました。
朝から鼻水がズルズル、のどがゲホゲホとちとつらいです。

午後から新穂村の潟上にある新穂村振興公社に出かけました。ここは生椿の活動の高野さんの職場。JAの板垣部長にもお越しいただき、9月15日に予定している、ここのイチゴ・ハウス施設周辺に広がっている湿地をビオトープにする計画づくりをしてきました。ここはもと水田で、その後放置されていて湿地となっています。また、イチゴ・ハウス施設の排水路を通して加茂湖とつながっており、ドジョウ、トビハゼ、メダカ、大雨が降った後にはナマズまで確認されたそうです。施設内には自噴している井戸もあり、これを活用して水辺の生き物に親しむビオトープづくりを行います。

2001/08/28 (火) 11:59p.m. 検討会

検討会


2001年8月28日(火)晴れ 

昨日は、郡山の手前でビジネスホテルで宿泊。早朝に磐越道を走って新潟に出てカーフェリーに乗り、正午頃に両津港着。この2日間の移動は結構疲れました!

環境省が昨年度から進めている「共生と循環の地域社会づくり(佐渡地域)」の今年度の第1回目の検討会が新穂村の元気館で行われました。トキの野生復帰を目指して、3つあるワーキンググループからの報告、討議が行われました。新聞社、テレビ局、オブザーバーなど委員以外にも40名くらいはいました。

2001/08/28 (火) 11:57p.m. ほろ酔い加減で

ほろ酔い加減で


2001年8月27日(月)くもり一時雨 

昨日のうちに岩手県沢内村へ移動。
昨年、「里地・里山保全活動」事業で「地元学」を行いましたが、岩手県が独自に進める「いわて地元学構想」の一環として、先駆地域として注目を集めています。廃校になった小学校の有効利用として、「いわて地元学構想」のセンターとしての検討もされているようで、今後「地元学」の実践が行われる予定です。

沢内村にある「銀河高原ビール」にも立ち寄りました。午前中の早い時間からバスでやってきた団体客のじいちゃん、ばあちゃんたちがビールを飲んでごきげんでした。
玄関先には、地元で採れた野菜や果物が並べられていて、ご機嫌になった団体客の方々が次々に買い求めてなかなか好評のようでした。物を買わせるのにビールが貢献しているのでしょうね。


2001/08/28 (火) 11:55p.m. ブナの森

ブナの森


2001年8月26日(日)くもり一時雨 

今日は予定を変えて、ブナの原生林を体験するために白神山地近くの二ツ井町の「郷土の森」へ出かけてきました。樹齢100年以上のブナがごっそり。林内も杉林にくらべると明るいです。二ツ井町が設置した30分程の散策コースを歩きましたが、かつて営林署に勤めていた方の案内で散策しましたが、単に植物の知識だけでなく、施行体験談なども駄洒落をまじえて話してくくれました。

2001/08/28 (火) 11:53p.m. 二ツ井町・「森の学校」

二ツ井町・「森の学校」


2001年8月25日(土)晴れ 

一昨年度から、(財)イオングループ環境財団と取り組みを行っている「里地・里山保全活動」の第13回目を秋田県二ツ井町で行いました。秋田杉の産地で林業の町で、「森の学校」というテーマで開催しました。東北のイオングループの店舗で組織されている「こどもエコくらぶ」の子供たちとその保護者を中心に90名ほどの参加がありました。高さ58メートルの日本一の杉がある林の散策や、二ツ井町産の秋田杉の間伐材をつかった施設の見学。一番こどもたちも、大人も夢中になったのが、工作教室でした。木の枝、丸太の玉切りしたもの、木の実などを使って、動物や昆虫、似顔、飛行機などなど子供たちの創造力には驚かされました。散策や工作などを楽しく体験することで、木や森への親しみをもってもらえたかな、という印象を受けました。


2001/08/28 (火) 11:52p.m. 秋田の食べ物3題

秋田の食べ物3題


2001年8月24日(金)晴れ 

今日はのんびりと象潟町から二ツ井町への移動でした。
食べ物でちと興味を引いたことを3題。
まずは象潟町の「道の駅」で2題。
「イワガキ」
英語で月を表す単語で「R」が付かない月の牡蛎は食べちゃいけない、という教えをどこかで聞いたことがあるのですが、象潟町の「イワガキ」は今が7、8月頃が旬。佐渡の加茂湖産の牡蛎の3倍位あり、ぷるんッぷるんッしています。それにレモンを垂らしてパクリッ!雄叫びをあげたいほど美味しいです!! 鳥海山からの湧水が海の中で湧き出してして、この「イワガキ」を育んでいるとのことです。

「伊勢エビのUFOキャッチャー」を発見しました。ふつうはカワイイ人形が収まっている所に水が張ってあり、多くのチャレンジャーとの格闘により見事に触覚がへし折られていました。ガラスには「伊勢エビは必ず熱処理をして食べてください」とありました。

「国道7号線の道ばたでアイスクリームを売るおばちゃんたち」
象潟町近辺から秋田市にかけて、道ばたにビーチパラソルを広げてアイスクリームの看板を掲げてアイスクリームを売っているおばちゃんたちが20人以上見かけました。とても気になったので、車を止めて買っちゃいました。アイスクリームというよりも、ジェラート。その場でおばちゃんたちがコテでコーンに積み重ねてくれます。1個150円、結構いけました。




2001/08/28 (火) 11:50p.m. な〜るほどぉ、な〜るほどぉ、なるほど舎

な〜るほどぉ、な〜るほどぉ、なるほど舎


今日、東北の出張から戻ってきました。
里地で活躍している素敵な人々にお会いしてきました。共生と循環の地域社会づくりをめざす佐渡のプロジェクトに通じることでもあると思うので、『トキドキ日記』の中でご紹介しちゃいます。


2001年8月23日(木)晴れ 

「なるほど舎」の鳥海山麓の秋田県象潟町で、低農薬やマガモを利用して稲作を行っていたり、伐採によりブナが無くなってしまった鳥海山にブナの植林をしたり、環境を意識した紙芝居づくり・上演活動なども行っています。今、取り組みを行おうとしているのは、地元の企業の食堂から出る残飯より堆肥を生産し、「なるほど舎」で利用の他、残飯排出企業でも緑化などで利用することを企画中とのこと。一杯やりながら、大声で議論が遅く続きました。里地ネットワークで集めた廃棄物の情報を披露するたびに、皆さん「な〜るほどぉ」、「な〜るほどぉ」ときて大声での議論になり、アルコールの量が増えていきます。「なるほど」の数もアルコールの量もどんどん増えたところで、「いやー、飲んだねぇ。なーに、話したっけ?」と。……でも、憎めない素敵な人々です。



2001/08/23 (木) 5:37a.m. 月布施のアイドル

月布施のアイドル


2001年8月22日(水)雨のちくもり

昨日は飲ませ上手の孫次郎さんにつぶされ、今、日記をつけています。

22日朝は、新潟のFM局FM port79.0MHの「モーニングゲート」番組に7時30分頃から3分程電話出演しました。とーても緊張をしてしまいましたがナビゲーターの方の上手な進行によりどうにかなったようです。「なぜ、佐渡を選んで常駐しているのか?」「よそもんセンターは誰が名付けたのか?その思いは?」という質問の他、ナビゲーターの方が「里地」の概略説明、この秋のシンポジウムの紹介などもしてくれました。

20日から僕の両親、妹、妹の子供が佐渡にやってきています。21日に3才になった姪を孫次郎さんのお宅へ連れて行きました。孫次郎さんのお孫さんは1才7ヶ月の女の子。月布施には同年代の子どもは彼女だけ。いつもおばあちゃんやおじいちゃんと散歩をしています。名前は「マコちゃん」。マコちゃんが散歩しているとみんなが声を掛けていくという、いわば月布施のアイドル。「この辺では、お母さんも働きにでているから、みんな、ばあさん娘っちゃ」と孫次郎さん。はじめは恥ずかしがっていましたが、音楽が鳴り出すと、二人で踊りだしました。

台風11号は、進路を変え勢力も弱まったようで、朝は波が少々高く、午前中は少し強めに雨が降りましたが、午後には雨もあがり、波も穏やかになりました。

今日(23日)はこれから9時10分のカーフェリーに乗ります。25、26日に秋田県二ツ井町で開催する「森の学校」の運営に参加してきます。その後は、27日に盛岡で今後の事業の打合せをして28日の午前中に佐渡島に戻ってきます。


2001/08/21 (火) 9:40p.m. 台風接近!

2001年8月21日(火)

台風11号が接近しています。東へ北へと進路が変わったり、速度もゆっくりとしているようです。先ほどの夜9時の天気予報では新潟県が暴風圏に入ることは少ないようですが、夕方から波が高くなりつつあるようです。テトラポットにあたった波がしぶきをあげて道路を濡らすようになりました。夜8時頃より雨も降り始めました。今は少々激しくなってきました。明日は事務局長の竹田たちが、明後日は僕とボランティアの出川くんが秋田県二ツ井町で25日、26日に行なわれる「森の学校」を運営するために佐渡をいったん離れるのですが、果たしてカーフェリーが運航されるのか心配です。月布施の方々は午後早々に荒天対応で、舟を船着場の高い位置に移動させたり、小屋の補強などを行なっていました。天候についても、東の風だと前浜地区の海岸沿いが荒れ、北西の風だと佐渡を離れた所から波が高くなるというような、解説をしてくれた漁師の方もおります。隙間風がピューピュー入ってくる事務所がどうなるか少々心配です。

18日の日経新聞の新潟版の「ひと」コーナーで僕が紹介されました。その記事を見て、新潟のFM局FM port79.0MHzから出演依頼があり、明朝の「モーニングゲート」番組で7時25分頃から5分程電話で出演することになりました。是非、お聞きください。

2001/08/20 (月) 6:07p.m. たらい舟

たらい舟


2001年8月20日(月)

今回ボランティアで来てくれた友人の山崎くんが、どうしても「たらい
舟」に乗りたいということで、小木まで出掛けていきました。「たらい」というと洗濯用を思い浮かべる方も多いかと思いますが、「たらい舟」として利用されているものは、漕ぎ手の女性の他、大人3名も乗れてしまいます。本来は、磯で海藻、魚介類を獲るときに用いられたそうです。佐渡島でも小木町近辺だけのようですが、山崎くんのイメージは「佐渡といったら、トキ、金山、たらい舟」とのこと。このイメージは一般観光客にも当てはまるようで、小木港での「たらい舟」遊覧は長蛇の列でした。乗っているだけでは我慢できない方々もいるようで、中には操船させてもらっている人もいましたが、クルクルまわっているだけか、懸命に櫂をゆすっていても全然動かないという状況でした。結構、見た目よりも難しそうです。我々は、時間があまりなかったこともあり、乗船は次回ということで我慢してもらいました。

2001/08/19 (日) 9:57p.m. 第3回生椿復田作業

第3回生椿復田作業


2001年8月19日(日)

今日は、生椿の復田作業の3回目。
朝、7時の集合にも関わらず30名以上の参加者が集まりました。
心配した水ですが、ちゃんと水は溜まっており、こねて、踏み込んでいく作業が順調に進めることができました。参加者は下は3才から上は80才。子ども達は田んぼで泥んこになることを楽しんでいました。トキの着ぐるみや、和紙でできたトキ風船も登場し、和やかに活動が進みました。本日までに13枚の田んぼに水を張ることができました。
昼食を兼ねた交流会では、次回の検討にも話が及びました。企画が決まり次第ご案内をさしあげますので、楽しみにしていてくださいね。

2001/08/18 (土) 11:10p.m. 田んぼ復旧、とりあえずOK

田んぼ復旧、とりあえずOK


2001年8月18日(土)

昨日、復旧作業をした生椿の田んぼが心配で、今日佐渡島に着いたボランティアの出川くんと山崎くんを出迎えた足でそのまま生椿へあがりました。水路の水はチョロチョロと少なかったですが、7月20日に踏み込みをした4枚の田んぼだけでなく、さらにしたまで水が流れ出していました。というか、2段目の真中の田んぼがモグラの被害を受けており、そこから下にかなりの水が流れでていました。その田んぼを踏み込んで応急処置を行いましたが、それでもまだ水が多少続いています。その対応は明日、プロの方々にお願いすることにしましょう。
午後からは、高野毅さんの仕事場である加茂湖畔にある新穂村振興公社を訪ねました。そこで明日放流するためのドジョウをたくさん獲ることができました。

2001/08/17 (金) 8:03p.m. 松枯れ伐採

松枯れ伐採


2001年8月17日(金)

生椿の高野さんの敷地の中に松枯れした高木が何本もあり、倒木の心配があったのですが、数日前に森林組合の方々が2,3人で切り倒したそうです。壊れかけた母屋、納屋などを壊さないようにワイヤーでひっぱりながら伐ったようです。庭木を少々なぎ倒してしまったようですが、枯れた松が無くなりすっきりしました。まだ数本、松が残っておりますが、こちらは見た目上は松枯れを起こしているようには見えませんので、当面は松枯れによる倒木の心配はなくなったようです。
佐渡島では、あちこちかなり松枯れが進んでいます。これら膨大な量で、どのように処理をするかが大きな課題だそうです。


2001/08/17 (金) 8:02p.m. 緊急事態発生!

緊急事態発生!


2001年8月17日(金)

緊急事態発生!
昨日、事務所を訪ねてきたマスコミ関係者が、復田作業中の生椿の田んぼを見にいったら、水がなく、ひび割れていたそうです。たまたま仕事が休みだった高野さん、高野さんのばあちゃんと生椿で待ち合わせ確認。報告通り、7月20日に水を張った4枚の田んぼには、まったく水がなく、ひび割れていました。水を引き込む水路の途中で水が消えています。水の量が少ないのかと思い、水路へ水を多く流れるようにすると、水路の下5メートルほど下で、勢いよく噴出してきました。どうやらモグラが水路に穴を開けてしまったようです。田んぼのほうにもモグラが開けただろう穴を発見!それと田んぼそのものにも漏水があるようです。水の供給が止まったことによって干上がってしまったようです。4枚の田んぼのひび割れた表面をクワでひっぺがし、1番上の田んぼに水が溜まったのを確認して、今日の作業は終了。順調に行けば、明日の朝には下の3枚の田んぼにも水が溜まっているはず。「ずーっと、やってなかったんだから、何度もやらねば。オレらはそうやってきた」と、高野さんの80才になるばあちゃん(お母さん)。
今後もこのようなことが続くということなのでしょうね。水が抜けたからといってめげていたのではいけないのですね。



2001/08/17 (金) 0:04p.m. 精霊流し

精霊流し


2001年8月16日(木)はれ・波高し

昨日の盆踊りの片付けは、朝6時に集合して行いました。
30分ほどで片付け終わりましたが、その後は「なおらい」の一杯です。

お盆の最後は、「精霊流し」。灯篭立てと同じく3回のお盆では精霊流しを行なうそうです。灯篭立てもそうですが、精霊流しも集落によって形態が違うようです。例えば、精霊流しをする舟ですが、月布施はベニア板で作りますが、隣の野浦では藁で作るそうです。
精霊流しを体験させていただいたのは、大家さんの親戚のお宅。午後1時半頃から太鼓、鐘を交えて真言を唱えるところから始まります。ひと段落した所で、舟で沖まで運びます。精霊流しをする舟には、帆も舵もついています。舟の底は平らになっており、その中には団子、ナス、ピーマン、トマト、にんじん、みかん、そうめん、くるみゆべし(お菓子)塩、ろうそくなどが供えられています。

今日は波が高かったので、精霊流しの舟を流す所にいくまでに、頭からかなりのしぶきをあびました。残って真言を唱えていた人たちは、戻ってくる直前まで唱えていたようです。もどってきてからは、お酒でお清めです。
精霊流しの舟に乗せていただいたお宅でお酒を結構いただいたのですが、事務所に戻る途中でもお清め中のお宅で、たーくさんお酒をいただきました。どのようにもどったか記憶にありませんが、夕方戻ったようですが、先ほど21時過ぎに目がさめたところです。今日は、よくお酒を飲む日でもありました。


2001/08/17 (金) 0:02p.m. 盆踊り

盆踊り


2001年8月15日(水)

まだ完璧に暗くなる前に、打ち上げ花火を上げました。「パーッん」。この花火を合図に子ども達が、花火を打ち上げている場所に集まってきました。花火大会は20〜30分ほど。人がほどよく集まったところで、盆踊りへの参加を促します。
盆踊り会場は水津所の浦にあるお堂前の小さな広場。ここに高さ2メートルほどのカワイイやぐらを組んで太鼓を据えています。開会のあいさつもなく、いきなり音楽がかかり踊りが始まっちゃいました。周りの人の動きに合わせて、真似てみますが……。「佐渡おけさ」かかった時に、昨日の中学生に踊れるか聞くと、自信をもって「踊れる」と。埼玉県入間市と両津市が姉妹都市を結んでいて、中学生は入間市を訪ねた時に踊ったそうで、滑らかに「佐渡おけさ」を踊っていました。
休憩の後に、相川音頭。少々踊り疲れたのと、まったく知らない踊りだったので、しばし見物をしていましたが、それまで、周りで見物をしていたおばあちゃんたちが、いっせいに和の中に入り、皆上品に上手に踊っております。

続いて、再び「佐渡おけさ」。「中島くん、もっと滑らかに!ロボットみたよッ!」「豪快だねッ!」などと野次が飛んできます。千鳥足のおじちゃんや、ひょっとこ姿でおどけているおじちゃん(実はこの人埼玉県にある女子高校の先生なのだそうで)がいたりして場を盛り上げていました。
踊りの後は、皆さんお待ちかねの「ハズレなしの福引」。来場した時に、引いたカードの番号順に景品をもらっていきます。ちなみに僕は「水出し麦茶」があたりました。


2001/08/17 (金) 0:02p.m. 戦没者慰霊祭

戦没者慰霊祭


2001年8月15日(水)

今日は、「終戦記念日」。日本武道館では、政府主催の戦没者慰霊祭が行なわれたようですが、野浦の大神宮でも戦没者慰霊祭が行なわれました。第2次世界大戦で野浦から出征して戦死された方は9名。公民館には、9名の方々の遺影が掲げられています。
戦没者慰霊祭には、遺族の方々を中心に集まり、神事が進められていきました。
祝詞、代表者のあいさつの言葉の中には、いづれも「平和」という言葉が含まれていました。戦争などという不幸なことが世界中からなくなり、世界中が平和であることを祈念したいと思います。


2001/08/17 (金) 0:00p.m. クロサンショウオも発見!

クロサンショウオも発見!


2001年8月14日(火)

午後は、デジタルカメラで撮影した写真や、持ち帰った生き物をさらによく観察して、図鑑やインターネットで生き物の種類、名前を特定する作業を行ないました。イモリなのかサンショウウオか判断に困っていた生き物も、「清流にだけ棲むと思われているクロサンショウウオですが、実は…」という表記のあるHPで写真を見つけたときには、一同で声をあげて喜びました。月布施周辺の5000分の1の地図に、土地利用や見つけた生き物の場所、写真などを貼り付けていき、最後は模造紙に貼り、破けないように周りはガムテープで補強をしました。後は、発表するための資料を整理すれば出来上がり!



2001/08/17 (金) 10:19a.m. 月布施の子供たちと水辺の生き物しらべ

月布施の子供たちと水辺の生き物しらべ


2001年8月14日(火)

7月29日の「地元学」の時に行った「水辺の生き物調べ」に引き続き、月布施の子ども達との2回目の「水辺の生き物調べ」を行ないました。集まったのは、月布施の中学生4名、小学生2名。それと竹田のこども2名。大人は、夏休みの課題として「水辺の生き物調べ」を子ども達に出している前浜中学校の理科の北見先生、佐渡トキ保護センターの横山さん、竹田、中島。
前回はタモと釣り竿での調査でしたが、今回は強力な武器を用意しました。
その名「ビンドウ」。本来、材質はガラス瓶のようですが、今回用意したのはプラスチック製のもの。これにフナのエサを入れ、ビンドウに紐をつけて水の中に沈めます。そして20〜30分ほど置いてから引き上げます。仕掛けたのは3ヶ所。一番はじめに引き上げた「ビンドウ」は、黒く小さく動くものがどっさり。ビンドウの中に入っていたものをいったんバケツにあけ観察していきます。どこの調査地点でもビンドウは威力を発揮してくれました。

2001/08/17 (金) 10:18a.m. お風呂

お風呂


2001年8月13日(月)

お盆ということで帰省した人で集落の人口が増えて賑やかです。
お花をもってのお墓参り、海で泳ぐ人、釣りをする人…。

今日からお風呂の設置工事がはじまりました。旧郵便局舎なのでお風呂のスペースがないのです。これまでは、大家さんをはじめ集落の個人宅でお風呂を借りたり、集落内の民宿、両津の街中などに出掛けたついでに温泉、ドカシートで目隠しをして水浴びをしていました。色々お話が聞けたり、ノンビリ出来たりなど、それぞれ味わいがあり、楽しかったのですが、人数が増えたり、いつでも使用できる状態がよいということでお風呂の設置となりました。集落内の大工さんに工事をお願いしました。明日、窓、ドア、スノコを敷いて建物は出来あがり。そして、ボイラーを設置して出来あがりですが、こちらは水道屋さんがお盆で多忙で少し時間がかかりそうとのこと。
今日は、大家さんである郵便局長さんの家で、これからシャワーを呼ばれています。

2001/08/17 (金) 10:17a.m. 新潟大学演習林

新潟大学演習林


2001年8月12日(日)

昨日の阿潟での里山保全活動が終了した後、多くの人がそのまま相川町にある新潟大学の演習林のプログラムに参加しました。
杉は本来、沢筋など水けのあるところや雲霧帯と呼ばれる霧の多い所に適している木なのだそうです。演習林の天然杉の森は、大佐渡山脈の上の方の雲霧帯に広がっていて、未舗装の林道のかなり上までマイクロバスであがり、そこから散策となりました。1時間ほどの霧の中でのハイキングとなりましたが、霧と杉のコントラストが神秘的な光景を描きだしていました。
今日は、僕の38回目の誕生日です。

2001/08/17 (金) 10:15a.m. 阿潟で里山保全活動

阿潟で里山保全活動


2001年8月11日(土)くもりのち晴れ

両津市阿潟、里山で遊ぶために山の手入れの活動を進めているグループ「あがたの切り株」の方々、JUONネットワークの方々と山の手入れを行いました。参加者は、30名弱。懸念されていた周辺での農薬の空中散布も中止となり、日差しもやわらかで、ここちよい風も吹き、猛暑に泣かされるということもありませんでした。

3班に分かれて、手ノコ、ナタで
正味2時間くらいの作業でしたが、林の中には日差しが入るようになり、だいぶ明るくなりました。
枯れた松もたくさんありますが、これらは秋に切り倒す作業を行う予定です。
昼食の後は、新潟大学演習林の本間先生のお話。「ツバキ類の常緑の木に覆われると里山を構成するクリ、ナラなどの落葉の高木の幼樹が成長できないので、まずはこれらを切るようにしたらよいですね」と。


2001/08/17 (金) 10:13a.m. ラジオ体操

ラジオ体操


2001年8月10日(金)

夏休みの全国の子ども達の夏休みの日課といったら、僕らの頃も今もラジオ体操。
ここでは、夏休み中ずーっとではなく、お盆までの1週間ほど。月布施の小学生は1名。中学生は4名。それにおかあさん、じいちゃん、ばあちゃん、お盆休みで帰省している家族の子ども達に我々が加わり、総勢20数名。
朝6時半からの開始です。子ども達は起きたばかりの眠そうな顔つきで集まってきます。

2001/08/17 (金) 10:12a.m. 待ってました

待ってました


2001年8月9日(木)雨のち晴れ

今朝は雨でした。
柿野浦の立岩さんから電話がありました。「今日は、雨降りだから、農作業ができないからこれから来てくれないか?」と。先日来、各集落ごとに長老の方に湧水、農業、トキに関してのお話をお伺いしてまわっていますが、柿野浦は雨降りということで今日になり、柿野浦の公民館まで出掛けてきました。お集まりいただいたのは、立岩さん、川嶋さん、小川さんの3名。川嶋さん85才、立岩さん80才。特に、熱心にトキのことを調べておられ、昨年の「トキ・シンポジウム」に合わせて、野生下にいたトキの棲息状況を図にされたそうで、シンポジウムに持参したかったそうですが、生憎当日は体長を崩されてしまい、シンポジウム会場には行くことができなかったそうです。その代わりに、その図と一緒に「高齢化の進んだ地域で、農業を行える人も少なくなってきている状況だから、休耕田をトキのエサ場にすることは可能」というような提言を環境庁や両津市役所にも手紙を送られたそうです。
私との会話の第一声が、「これは届いておると思いますが……」と、熱い思いを語っていただきました。公民館の壁には、柿野浦集落の年表が記述されていますが、1980年の蘭には、「トキ捕獲に絶対反対の陳情書提出」の記述がありました。


2001/08/17 (金) 10:11a.m. 暑い日

2001年8月8日(水)

暑い!
事務局の前は川の淵に建っているので、日中は下流からの吹き上げる風、夜は上流から吹き降ろす風が吹き、風が吹いていればこの暑さにも結構耐えられます。
しかーし、風の向きが変わる、朝、夕方はピタリと風が止まります。朝は我慢できるのですが、夕方に風が止まると、耐えかねます。
先日、とうとう扇風機を1台買ってしまいました。これをまわしておくと、ジトーと汗はかくものの、汗くささを考えねば、どうにか耐えられます。
それと、冷蔵庫がものすごく小さく、氷を作ることはもちろんできず、ペットボトルのお茶を冷やしておくスペースも他のもののことを考えてしまうと、ない状況です。
そこで、水津の漁協にある氷の自動販売機で氷を購入し、飲料用のクーラーボックスに詰めています。この暑さでも24時間以上氷は消えずに残っており、冷水を供給してくれています。

事務局長の竹田が、家族の夏休みを兼ねて4人で戻ってきましたので、ひとりではなくなりました。

2001/08/17 (金) 10:10a.m. 魚とり・七夕

魚とり・七夕


2001年8月7日(火)はれ

テトラポットからカニ篭を仕掛けているのを忘れていて、数日ぶりに上げてみるとゲナというウナギのような20センチくらいの魚がエサもないのに入っていました。
6月に来た頃は、数日ほおっておいたら、20センチ級のクロバチメが5匹、タコなどが入っていたこともありました。ただ、あんまりほおっておくと篭のヒモがほつれていて、目の前で魚がポロポロ海に戻っていっちゃった悔しい思いを体験したこともあります。

隣のばあちゃんの所へ遊びに来ている曾孫2人が、事務所前の3面張りの川に下りて、網を入れていました。網ですくうたびにカジカが入っていたようです。それを見ていたお孫さんづれのおばちゃん。「昔はなぁ、川にいーぱい、魚もカニもいたもんだ。深みもあってのう…。三面張りにしてしもうて、いなくなってしまったなぁ。海で泳いだあともな、べとつくもので、川で身体を洗い流した」と。

夜は、両津市の七夕に行きました。10いくつもの団体がそれぞれおそろいの浴衣に笠をかぶって「佐渡おけさ」「両津甚句」を踊る「民謡流し」を行いました。港周辺の商店街の飾りつけも華やかでした。港周辺の各町内会では、子供が好きなアニメキャラクターの山車を出し、それを子ども達が歌を歌いながら引っ張る姿も可愛かったです。ただ、今は子ども達の数が少なくなり、子供の引っ張り手に困ることもあるようです。




2001/08/17 (金) 10:08a.m. 棚田での耕作

棚田での耕作


2001年8月6日(月)

今日は豊岡、東強清水、赤玉、立間の田んぼを車で走ってみました。
豊岡では、いきなり急な坂、急カーブ。里地ネットワークの佐渡事務所のレヴュという小さな車でも回り切れないカーブもありました。途中ところどころに狭い棚田があります。しばらく上っていくと土地が開け、基盤整備をされた後の広い田んぼが広がっています。
赤玉と立間では、JA水津支所長の紹介で地域の農業に詳しい方にお話をお伺いしました。湧水、休耕田、有機農業などを空中写真にポストイットで記録する作業を行っています。立間では一緒に田んぼを案内していただきました。トキが野生下にいた頃、田んぼをエサ場として提供し、ドジョウを放すことをされていたそうです。
立間も集落周辺の田んぼの他は、急坂を上っていったところに田んぼがあります。林道の終点の所までいくと、区長さんがハザカケの準備をされていました。
「もう70才を越えちゃっているからなぁ、あと2、3年もすると田んぼもできなくなるだろうから、環境省でこの田んぼを借りてくれよ」と。


2001/08/17 (金) 10:07a.m. 片野尾で水辺の生き物しらべ

片野尾で水辺の生き物しらべ


2001年8月5日(日)はれ

夕方、隣の片野尾集落の育成会主催で、片野尾の小学生と「水辺の生き物しらべ」を行いました。片野尾集落の子供9名と、隣のばあちゃんの所へ遊びにきていた曾孫さん2人、それと保護者の方々。案内は、両津市役所水津支所長の金子さん。金子さんの田んぼを中心にその周辺ということで2ヶ所を巡りました。最初の田んぼでは、ドジョウ、カワニナ、ヤゴ…などが次々に子ども達によって捕らえられて行きました。
そして、2ヶ所目は、現在休耕している水が張られている田んぼ。ドジョウ、カエル類、ミズカマキリ、ヤゴ、ミズグモなどなど。驚いたのは、4センチほどのゲンゴロウがたくさんいたことです。肉食のゲンゴロウがこんなにいるということは、食べられてしまう生き物もたくさんいるということではないでしょうか。
子ども達も夢中にタモを水の中に突っ込んでいましたが、
お母さん方からは「またお願いしてもよいのですか?次はいつにしましょうか?」
金子さんは「休耕田でも水をはっておくと、こんなに生き物がいるのですね。来年はうちの休耕している田んぼも水をはります。そして、こどもたちに生き物を見せて上げたい。片野尾でそういう所がたくさんできるといいですね」と。

2001/08/17 (金) 10:05a.m. 廃油せっけん作り

廃油せっけん作り


2001年8月5日(日)はれ

今日は、月布施の婦人部の有志の方々が廃油石鹸を行いました。
「廃油は捨てないで、とっておいて頂戴」と大家さんの奥さんに入居当時から頼まれておりました。廃油せっけんは手にやさしく、この辺りでは誰もが欲しがるものなのだそうです。トビウオやアジの揚げ物をした後は、油こしで漉して、5,6回使用したものを容器に入れて大切にとっておきました。オイル缶に廃油を入れ、それに苛性ソーダを加え、竹の棒でかき混ぜていきます。ある程度こねたら、牛乳パックの空容器に流し込み、1ヶ月ほどおいて出来あがり、だそうです。


2001/08/17 (金) 10:04a.m. 生椿への近道

生椿への近道


2001年8月4日(土)

朝、集金前の鮑・集落の区長さんにお話をお伺いしました。
17戸中、10戸しか今は、住んでいないとのこと。田んぼは4戸しか耕作をしていないそうです。鮑集落の人は、かつて生椿の下部地域に田んぼをもっていたそうです。もともとは今の両津市城腰・集落の耕地だったそうですが、第2次世界大戦で出征などの人手不足により、東立島、鮑、赤玉などの前浜地区の集落へ土地を売ったそうです。前浜地区の比較的所有耕地面積が少ない人々が買い求めたそうです。昭和40年頃まで、生椿の下部地域で徒歩で通って耕作をしたそうです。徒歩だと1日3往復。牛を曳いてだと2往復。
昔歩いた道を、拡幅して今の車道があります。鮑で有機農業を行っている浜本さんに連れられて、生椿まで行ってみました。鮑から生椿の高野さんの元の家まで25分ほど。月布施からでも30分ちょっとでいくことができます。海沿いを河崎まで走ると1時間程かかりますから、かなりのショートカットができます。ただし、道が狭い上にとても急な坂道なので少々運転が大変です。



2001/08/17 (金) 10:02a.m. 赤玉集落の床屋

2001年8月3日(金)

髪の毛がうざったくなってきたので、赤玉集落の床屋さんへ行きました。
目の前が海で、散髪台からは海が少し望めます。
50代のおばちゃんが散髪をしてくれますが、このおばちゃんがとても話し好き。
いろいろと話しをきかせてくれます。散髪の前後には飲み物までいただいちゃいました。店内にはトキの大きな写真も掲げられています。「うちの子供が保育園の時、すぐ裏なんだけど、夕方迎えにいった時に見たことがあるよ。トキ色というの?あんな綺麗な鳥みたことない。見たことがあるのはそれ1度だけ。また、見たいわ」と。

散髪後は、となりの赤玉郵便局長のところへお話を伺いにいきました。里山の保全に関しての思いを聞かせていただきました。




2001/08/17 (金) 9:57a.m. ネキリムシとアジ釣り

ネキリムシとアジ釣り


2001年8月2日(木)

ボランティアの東北大学生の出川くんが今日、島を離れました。
これまでに5月、7月に2回、そして8月にも来る約束をして戻っていきました。

今日もとても暑い日でした。夕方、いつもの駐車スペースの区長さんの畑の隣に留めると、区長サンの奥さんが「ネキリムシが悪さをして困るわ。どうにかならないかしら。こいつさえいなければ、はんこを押して買うような農薬を使わなくてすむのにね」
しばらく、区長サンのネキリムシによる切実な被害状況のお話を聞きました。畑の隣の稲は穂を出して、穂のにおいが香ばしく感じられます。

夕方、アジ釣りに連れていってもらいました。2人で1時間程でアジ45匹。15センチほどですので刺身にはちょっとという大きさ。20匹ほどいただいたので、頭と腹を出し、衣をつけて冷凍庫で保存しました。

2001/08/17 (金) 9:54a.m. 今日も潜るも…

2001年8月1日(水)

どうにも、暑いのので今日も、月布施の海水浴場で泳ぎました。
今日は、昨日とちがう片野尾方向へ向かって泳ぎました。水深が5〜10メートルくらいのところをシュノーケリング。水面から探してみましたが、藻がたくさん生えていたり、遠かったりでなかなかサザエ、アワビを見つけることができませんでした。本日の収穫はサザエ1個。とーても情けないのですが…。その1個をボランティアの出川くんにプレゼント。海からあがったその足で、少しドライブ。野浦の前を通りかかると、高校生がサザエが数十個は入っている網を重そうに抱えている姿に出くわしました。
少し会話をしましたが、今日の成果については内緒にしておいて、「昨日は6個獲ったよ」と告げると、「6個なんて、ひと潜りでしょ」と。ショックでしたが、さらに追い討ちをかけるように「持って行きますか?」。
水面から探すという楽をしていてはいけないのだそうです。岩陰なでに隠れているから、潜ってあたりをつけるとか、潜って探しそのまま獲ってしまうのだそうです。
耳抜きと肺活量の訓練の必要性を痛感しました。

2001/08/16 (木) 10:37a.m. サザエが6個

サザエが6個


2001年7月31日(火)

どうにも暑いので海に潜りました。月布施の集落から少し離れた海水浴場でもぐりました。ボランティアの出川くんと僕以外は、親子づれが1組。ここは砂利浜。でもすぐに足がつかないほどの深さになります。ところどこに岩礁があります。水深3〜5メートル位のところでサザエを6個取ることができました。浜でサザエの殻を叩き割って、白身の部分だけにして、海水で洗って、パクリッ。美味いッ!僕も出川くんも天を仰ぎました。


2001/08/15 (水) 5:53p.m. ボランティアを佐渡観光

ボランティアを佐渡観光


2001年7月30日(月)

今日は、ボランティアとして来ていただいた方々と島内巡りをしました。
佐渡トキ保護センター、芸能とトキの里と巡り。、長谷寺(ちょうこくじ)、清水寺(せいすいじ)へ。どちらもパロッているのかと思えるような寺の名前ですが、長谷寺には渡り廊下、清水寺には舞台があります。どちらも落ち着いた雰囲気で心が休まりました。

真野町はアルコール共和国ということで地域振興を図っているようです。真野町の造り酒屋で試飲。ドライバーの僕以外の人は、試飲をたっぷりと楽しんでいました。この造り酒屋の酒粕でつけたウドの粕漬けも試食販売されていました。売り子のおばちゃんの話しでは、ウドは久知河内・集落の方が栽培しているものだそうです。久知河内のウドといったらホタルの会が資金源にするために栽培をしていることを区長さんから以前に聞いたことがあります。ホタルの会のウドなのかな?だと、ストーリー的には面白いですね。
ちなみに、真野町役場はアルコール共和国の総務省の看板を掲げていました。

その後、佐渡奉行所、佐渡金山、大佐渡スカイラインを巡りました。


2001/08/15 (水) 5:52p.m. 月布施地元学の実施

月布施地元学の実施


2001年7月29日(日)

今日は、事務所のある月布施集落で地元学を行いました。
隣の野浦集落での実践に刺激されて、公民館の教養部主催で行われました。
地元学の告知は、回覧版のほか、地元学の共通ポスター「里地たんけん隊」が、掲示板や各家の壁に貼られていました。
幼稚園児からお年寄りまで朝の集合に集まったのは30名ほど。よそものは里地ネットワーク事務局3名、大学生2名、社会人4名。
中学生のグループ3名は、学校の夏休みの課題である「水辺の生き物調べ」を兼ねています。中学生のグループを含め、5つのグループに別れ、1つは中学生の水辺の生き物しらべ、1つは集落内で主に道具しらべ、残りのグループは水系単位に調べていきました。特に湧水がでている所は丁寧にチェックしていきました。昼食は公民館でカレーライス、漬物、タコ、イカなどなど地のものが並びました。午後は、午前中にポラロイドカメラで撮影した写真をもとに、地域資源カードの作成と、課題として与えた調査項目の植生、湧水などを地図上に書きこんでいきました。一緒に歩くことができなかったおじいちゃん、おばあちゃんたちもさらに加わっていただき総勢50名くらいで、にぎやかに進みました。
よそもんからは「質問に次から次に答えていただくだけでなくて、質問しないことも色々教えていただき、知識・知恵の豊富さにビックリするばかりです。お話をしていただく方々の表情が皆素敵だった。
月布施の方々からは「何をやるのか、よくわからなかったので不安だったが、これでよくわかった。面白かった。次はいつやろうか?

2001/08/15 (水) 5:50p.m. 夏野菜

2001年7月28日(土)

畑ではトマト、ナス、キュウリなどの夏野菜が収穫時期を迎えています。
事務所の前の坂道は、畑へ続いており、早朝からじいちゃん、ばあちゃんたちがコンテナをひもでくくって背負って上って行きます。帰りには野菜をたくさん背負って降りてきます。これまでの例のごとくお裾分けをたくさんいただいています。畑からの帰りに寄っておいていってくれます。トマト10個、ナス10個、きゅうり10本…。続いて、次の人。こんな熟した美味しいトマトなど、スーパーで買い物をしている限り味わえるものではありません。冷やしトマトにしたり、スープにしたりとトマト三昧に今日この頃です。久々にトマトが切れましたが、散歩にでたら、おばちゃんに声をかけられ、トマトをもっていけと20個ほどいただきました。

新潟日報の環境キャンペーンの広告記事に竹田記事掲載が掲載されました。一昨日に掲載される予定だったのですが、広告がたくさん取れたのか別に掲載となっています。僕がとった写真もA6くらいまで引き伸ばされています。

一気に帰省客が増えました。隣の86才のばあちゃんところも孫と曾孫が来ていて、曾孫を連れ歩いている姿はいつも以上にシャンとしているように感じます。



2001/08/15 (水) 5:49p.m. 灯籠立て

灯籠立て


2001年7月27日(金)

今日は灯篭立てを見させていただきました。お葬式をあげた家では、3回目までのお盆までは灯篭を立てるそうです。灯篭立ての作業ですが、まずは山へ行って杉の枝を何本か切ってきます。そして、5メートル位(家によっては7〜10メートルくらいのもあります)の丸太に竹の棒を適当な高さに横に渡しくくりつけ、竹の両端と立てる木の棒の頭に杉の枝をくくりつけます。それぞれ杉をつけた先をつなぐようにひもを通します。そして庭にたてます。
7月中に灯篭を立て、8月一杯立てておくそうです。
午前中の作業でしたが、作業が終わると仏事ということで、また一杯です。

2001/08/15 (水) 5:48p.m. お葬式

2001年7月26日(木)

朝、参加する上でのお葬式の手順を聞きに、大家さんの奥さんを訪ねると、「あ、説明しないでごめんね。お葬式は親族だけなんだ」と。お通夜は部落主催で、お葬式は親族やごく親しい方々が参列するのだそうです。集落の上にお寺さんがあるのですが、お昼前に葬列が上がっていきました。
昭和40年代前半に火葬場が出来、現在は火葬してから葬儀が行われているそうです。火葬場ができる以前は、この辺の集落ではどこも浜に焼き場を定めており、そこで火葬したそうです。5人組みというのが今もあり、今回の葬儀も5人組みの協力により進められたそうです。

本日の新潟日報に見開き2ページで7月〜10月に新潟県内で行われる森林保全関連のイベント告知記事が掲載されました。里地ネットワーク関連のイベントもいくつか紹介されていました。今日の問合せは1件でした。

2001/08/15 (水) 5:48p.m. お通夜

2001年7月25日(水)

今日は、区長さんの自宅で催されたお通夜に参加しました。このお通夜は部落主催だそうです。玄関の上がり口の所にお線香とヤカン、コップがテーブルの上にあり、その横にバケツが用意されています。まずは、コップの中の水をバケツにあけ、ヤカンの水をコップに少しだけ注ぎ備えます。そして、線香に火をつけます。
その後は、少し奥で控えている親族の方々へごあいさつし、お香典を差し出します。
なかにはお米出している方もいます。
あいさつが済むと、開会まで座して待ちます。
進行は通常は区長さんが行うようですが、今回は区長さん、副区長さんとも当事者なので、他の区役の方が進行されていました。
一通りのあいさつ、親戚の娘さんの弔辞と続き、太鼓と鐘を叩きながらの真言を唱えます。真言が終わると酒席となりました。ヨソモンなので、1、2杯戴いたところで早々に引き上げようかと思いましたが、玄関口までたどりついた所で、ひきづり戻されて、少々深酒になってしまいました。

2001/08/15 (水) 5:46p.m. 街中への買い物

2001年7月24日(火)

朝、事務局長の竹田と、小関を東京に戻るのを見送った直後、向かいの水津支所長がやってきて区長さんの義母がお亡くなりなった旨のお知らせを受けました。事務所からは、区長さんのお宅の庭が望めますが、親せきの方々準備を行っています。
お通夜は明日、告別式は明後日。明日のお通夜に集落の方々と参列することになりました。礼服までとはいきませんが、葬儀用の品揃えとともに、この機会に衣料の買い物に出掛けました。両津の街中にも衣料品店はありますが、豊富な品揃えを考えると、やはり佐渡島中央部の金井町、佐和田町にいくつかあるチェーン店。片道1時間程をかけて紳士服のチェーン店に飛び込みました。夕方だったのでズボンの裾上げは翌日仕上がり。ちょっと、タイミングがズレたがために、2日間で都合4時間の移動時間。他の用事もありましたが、ちょっとした買い物をするのにも、よく考えて行動しなければ時間の浪費になってしまいますね。




2001/08/15 (水) 5:44p.m. 旧水津中学校たんけん その2

2001年7月23日(月)

「廃校の探険」記述:出川
片野尾から月布施にはいるためには大平トンネルとくぐらねばならない。その上に廃校がある。これをトキの野生復帰などの際に何らかの形で使えないかとの企てがある。そのために中に入って調査することになった。黒板や表札などそのままになっていて、かつての活気がしのばれる。周りの環境はすごくよい。校舎の廊下から森の向こうに海が見える。また、校舎の反対側には水田が連なっているという。静かな中に
それらがたたずんでいた。


2001/08/15 (水) 5:43p.m. 旧水津中学校たんけん その1

2001年7月23日(月)

両津市の水津〜岩首の集落を前浜地区と呼んでいますが、現在この地区で1つの中学校区を形成しています。数年前に、水津の集落から少し離れた高台に、木をふんだんに使ったちょっと洒落た校舎の前浜中学校が建設されました。
これは、月布施にあった水津中学校、柿野浦にあった岩首中学校を統合したものだそうです。遠い集落の生徒はスクールバスで通っています。
今日は、統合後活用されないでいる旧水津中学校の探検を教育委員会の許可を受けて行ってきました。野生トキの最後のねぐらになっていた大平山の麓にあり、県道から少し急な坂道を上がったところにある木造校舎。校庭の周りにはサクラの木々。海の眺め良し。周囲の田んぼも休耕しているものが多いとのこと。ここをどのように活用したらよいかが両津市の課題のようです。旧岩首中学校の方は、鼓童の研修所として現在活用されています。
まずは、校舎内の備品は既に廃棄処分になっているとのことで、音楽室からは木の椅子を数脚、給食室からはボウルを数個を里地事務所にて有効活用させていただくことにしました。




2001/08/15 (水) 5:42p.m. 野浦芸能フェスティバル その2

2001年7月22日(土)

■「マックスの踊り-芸能祭」記述:出川
22日の芸能祭では伝統芸能だけではなく、マックスの踊りも披露された。踊り手は婦人会OB(ということだから結構お年も召している?)。伝統芸能だけでなく、このようなダンスも披露されるとは、野浦の芸やその楽しみに対する幅の広さを感じさせる。飛び入りでステージの前に出て参加したおじさんの踊りもなかなかよかった。このおじさんのおかげで一層の盛り上がりを見せたのである。
■「佐渡の踊り‐野浦芸能祭」記述:出川
祭りのエンディングでは佐渡おけさなどの踊りが披露された。三味線、たいこなどの音楽と、お母さま方の踊りをみた。着物を着て、音もなくしずしずと舞台に出てくる様子は昨日の宴会で見た姿とはあまりの変わりようで、また踊りも艶っぽく、おもわずゾクゾクッとしたものである。やはり貫禄が違うなあ、と思った。
■「祭りの後始末‐芸能祭‐」記述:出川
芸能祭は3時ごろに終わった。その後の後始末も手際よく終わった。村人たちの団結力、また、個々人のリーダーシップ(つまり一人一人主体となってやっているという意味での)は、目を見張るものがある。それも声を掛け合いながらユーモアも交えながらみんなでわいわい大変楽しそうに、巨大なテントも片付け、売店の道具も片付け、ごみも分類して袋にみんなつめてしまうなどみるみる終わらしてしまった。そして4:30からはすでに打ち上げの宴会の準備もできていてはじまったので驚きである。


2001/08/15 (水) 5:40p.m. 野浦芸能フェスティバル その1

2001年7月22日(土)

■「芸能祭のハリゴマ」記述:出川
野浦で22日に芸能祭があった。祭りのオープニングは子供たちの出演の
ハリゴマである。きれいな着物をきて、鈴を持った小さな子供たちが、観客である集落の人たちの声援とそのやり取りに支えられながら、この
土地の方言でせりふを言いながら踊っている姿は大変かわいく、ほほえましい。
■「文楽‐芸能祭にて‐」記述:出川
22日の野浦の芸能祭では、「文楽」が中心的なプログラムに設定されていた。人形劇であるが、語り手の三味線を持った人が、三味線を引きながら一人でせりふを言う。
人形はこれにあわせて、他の人が動かす。ぴったりしたタイミングで、語りもすごく表情豊かだった。語り手の顔つきも女役をやるときにはそのような表情に自然となるところがやはり焼くとしてなりきらねばならぬところなのだろう。私の隣にすわっていた3、4歳ぐらいの子供まで長時間にわたってしっかり見入っていた。私も大変感動した。
■「文楽の人形‐22日の芸能祭にて‐」記述:出川
芸能祭の文楽では人形の非常に激しい動きに驚いた。それはまさに全身
を使って人形を動かすといってよい。文楽の上演が終わった後、人形体験ということで、人形を触らせてもらい。動かし方を教わった。持ってみる。重い。こんなに重たいものを観客席から見る限りにおいて軽やかに動かしていたとはびっくりである。すごく体力的にも大変なものだろうと思った。顔の角度も後ろから紐でかなり複雑に動かせる。操作も複雑だとおもった。練習が如何に大変なものであるか、その片鱗を実感させられた。



2001/08/15 (水) 5:37p.m. 月布施クリーン作戦

2001年7月22日(土)

午前中は、月布施の集落のクリーン作戦。集落を4つにわけている組ごとに、それぞれ道路沿い、海岸のゴミ拾いを行いました。約1時間ちょっとの間に、空き缶、発泡スチロール、ビニール袋などのゴミを回収、それぞれを両津市役所のゴミ指定袋に分別、一部は焼却を行いました。月布施の海水浴場などは、わずかな時間でしたが、それでも海岸は気持ちよく美しくなりました。集落の人々の努力で美観が維持されているのですね。



2001/08/15 (水) 5:32p.m. テントの上棟式

2001年7月21日(土)記述:出川

野浦で大きなテントを購入した。22日の芸能祭の際に使用する。今日、それを初めて立てる作業があった。大体の作業が終わったあとに5時からテントの上棟式があった。神主さんから「参加の際には、一応、儀式だし、時間厳守でよろしく」ということだったので、我々は大いに緊張して服装も気にしながら、会場の公民館に集合した。が、皆さん、ラフな格好で集まっており、我々が到着すると、あっというまに<上棟式=大宴会>。明日はもっと激しいという話。どうなることか、心配である(いや、本当に。)。


2001/08/15 (水) 5:31p.m. 岩首小学校で水辺の生き物しらべ

2001年7月21日(土)

午前中は、岩首小学校の全児童17名と授業の中で「水辺の生き物調べ」を行いました。
我々は、新潟県庁鳥獣保護係で「トキの島づくり」事業担当の佐藤さん、トキの森公園の仲川さん、里地ネットワーク事務局長・竹田、そして僕の4名。岩首小学校は校長先生と先生3名。子ども達はスクールバスで、先生方、我々はそれぞれ自家用車での移動です。まずは、ハシラヤマ。ここは、休耕田の田んぼにハスなどを植えていて、持ち主がビオトープを意識しているそうです。そのすぐ隣が溜池になっています。さらに、そのすぐ下は、水が流れ込む沼地上になっており、3つの異なった環境がありました。ドジョウ、カエル類、タイコウチ、ゲンゴロウなどなどを捕らえ、観察することができました。
2ヶ所目のワキシウズでは、まず小さな沢に入りました。沢は木々に覆われ、清水の流れもあり、冷房の効いた部屋に入ったようにヒンヤリとしています。沢に入ると、ピョンピョンはねるものありました。トキのエサにもなっていたヤマアカガエルです。足元に目をこらすと、石をめくるまでもなくサワガニがチョコチョコと動いています。
続いて、すぐ横から湧水が流れ込んでいる田んぼの探索。ここでもいろいろな生き物を観察することができ、サンショウウオまで捕らえ、観察できました。
観察が終わると、すぐにもとの所へ生き物は返しました。
いろいろな生き物を発見できたことに子ども達は大喜びでしたが、子供以上に夢中になって、生き物を追いまわしていた校長先生の姿も強く印象に残りました。



2001/08/15 (水) 5:30p.m. イゴ採りと生椿活動

2001年7月20日(金)

今日から3日間は、よそもんセンター(里地ネットワーク佐渡事務所)開設によるボランティア募集の応募第1号の東北大学の出川君レポートもまじえてお伝えいたします。
……
「イゴ採り(7月20日早朝)」記述:出川
私にとっては極めて早朝(4:00)に起きだして、船に乗せてもらってイゴ(海藻)とりをした。集落の者皆で一斉に海に繰り出していくのは非常に爽快だった。鏡で海底の様子を探りながら手際よく引き上げていく姿が見られた。海底を見るとすごく綺麗で、底までしっかり良く見えた。また、ものすごくたくさんのイゴが繁茂しているのに驚いた。船着場に帰ってくると、お母さんたちがもう待機していて、とった海藻を処理するために待ち構えていた。朝から活気に満ちた仕事が展開される。眠気はすぐにどこかにすっ飛んでしまった。

「棚田草取りと水張り」記述:出川
5月に復田した棚田の草取り作業、及び水張りをした。土は湿っていた大変重く、長靴が埋まってしまって私は大変難儀をした。足が抜けないのである。人に引っ張りあげてもらったことも一度ではない。汗びっしょりになった。となりをみると、プロと思われる人が面白いようにスコップを振るい、土を壊して田んぼの畦を作り、見る見るうちに、ニコニコと田んぼを作り上げ、水を張っていた。大変楽しそうである。私もそのような楽しみ、面白さが感じられるようになりたいものである。



2001/08/15 (水) 4:24p.m. デジカメ水没

デジカメ水没


2001年7月19日(木)

今日は、小学校づいていた日でした。
朝早々に岩首小学校と野浦小学校から電話。
岩首小学校からは、「スクールバスが山道をあがれるか、校長先生が確認したい」とのことで再度下見の依頼。野浦小学校からは、「今日、『水辺の生き物調べ』をやるから9時に来て指導していただけないか?」と、時計を見ると8時15分。あわてて準備をして、野浦小学校へ。5、6年生3名と校長先生と一緒に学校周辺の田んぼと川へ。
田んぼを調べた後、護岸工事された川の調査へ。コンクリートで固められた護岸の高さは2メートル以上。どうやって降りるのかと思っていたら、校長先生事前に、誰かが使っている梯子を見つけていたらしくそれを利用。子ども達は、梯子を使わずに護岸を降りていきます。校長先生は、シャツを脱ぎランニング姿でやる気です。僕もタモをグイグイと岩押し付けていき、見事ヨシノボリをゲット!と思った瞬間、ポチャリッ!という音。音のした真下を見ると、デジカメが水中に沈んでいくところでした。あわてて拾い上げましたが…。電源を入れても撮影できません。「あ”〜」と叫びたい気持ちを、子ども達の手前ぐっとこらえ、生き物探しに没頭するのみでした。竹田さん(上司)ゴメンナサイ!

夕方、里地ネットワークの竹田、小関、ボランティアの出川、佐渡トキ保護センターの横山さんと河崎小学校で合流。「総合的な学習」の中での、水辺の生き物調べのお話。

2001/08/15 (水) 4:22p.m. 岩首・両尾の小学校訪問

岩首・両尾の小学校訪問


2001年7月18日(水)

午前中は、岩首小学校へ。7月21日(土)に全校生徒17名の子ども達と「水辺の生き物しらべ」を行うための下見。同行者は、JA水津支所長の本間さんと岩首小学校の岩見教頭先生。本間さんのお勧めの場所を3ヶ所巡りました。草ぼうぼうの所もあるようですが、当日までに保護者に依頼して、草をはってもらうとのこと。
3ヶ所目は本間さんの田んぼ。その田んぼに注ぎ込んでいる田んぼを少し、ほじくるとサワガニがでてきました。午前中2時間と短時間、スクールバスでの移動などを考えて、とりあえず本間さんの田んぼとワキシウズの2ヶ所で実施することになりました。

夕方、両尾小学校にて打ち合わせ。来年100周年を迎える両尾小学校ですが、学校の100年だけでなく地域の100年も考えたいとのことで、地元学の手法で取り組みたい意向があるようです。当初、「水辺の生き物調べ」のお願いにあがったのですが、残り1分で地元学の話をさせていただいたら、校長先生にとても興味を示していただけました。ちなみに、両尾小学校の校章には、トキがデザインされています。


2001/08/15 (水) 4:20p.m. 前浜中学校の夏休み作戦

2001年7月17日(火)はれ

前浜中学校の北見先生から「今、子ども達と夏休みの作戦会議をやっていて、トキの話をしにきて。11時頃来てくれると助かるなぁ」との電話。時間は、10時を回っています。
もちろん2つ返事です。「はい、わかりました」。
あわてて資料をそろえて、中学校へ。授業中のところへ、コンコンとノックをして入っていきます。先生の話がしばらく続き、僕が話をする番に。「時間は8分でお願いします」「8分!」。どうにか時間内で収め退室。職員室の前で先生を待ちます。全校生徒28名。岩首〜水津の集落の子ども達が通う前浜中学校。夏休みの課題として、数人のグループで先生が指定する水系単位で生き物調査を行うそうです。



2001/08/15 (水) 4:19p.m. アワビ漁解禁

アワビ漁解禁


2001年7月16日(日)

サザエは網でも、潜っても採ることができますが、アワビは網では採れません。潜ってとるか、舟の上から箱メガネで覗き、竹竿の先に剥ぎ取る金具をつけ採るしかありません。今日、サザエ網の舟に乗せていただいた時に、舟の上からアワビを採っているのを目撃しましたが、いやー、見事です。岩にへばりついているのを剥ぎ落とし、それを引き上げるのには、相当なテクニックが必要なようです。採ったアワビを自慢化に見せる笑顔が素敵でした。
舟からもどると、潜っている人がいました。臼杵秀昭さんでしたが、とったものを入れるている網袋を掲げ、「これで4万円位の売上かな?」。傷ついて売り物にならない、20センチくらいのアワビをごちそうになりました。全体的にコリコリと硬いですが、貝柱はとーても柔らかく、とても幸せな気分になりました。波打ち際で20センチ級のアワビをペロリッです。サザエの刺身も、アワビの貝柱と同様にとーても柔らかく・甘く美味です。

この他今日は、月布施ではトビウオも大漁だったようで、たくさんいただきました。昨日、野浦でもらったトビウオもあり、半日がかりで、魚をさばき、衣をつけて冷凍保存をしました。


2001/08/15 (水) 4:18p.m. サザエ漁解禁

サザエ漁解禁


2001年7月16日(日)

今日からサザエ、アワビ 解禁!
少々、寝坊をしてしまったので、朝5時に一斉に出漁するのには、ちょっとの差で間に合いませんでした。残念、と思いつつも、野浦の集落の岸から網を仕掛けている姿を写真撮影していると、「お〜い、舟にのらんかぁー」との声。
野浦地区のサザエの魚場は3ヶ所。これを1班4名ほどのグループで1週間ごとに巡っていきます。日曜日に網を仕掛けて、土曜日までに引き上げねばなりません。
そして、よく日曜日には、次の場所へ。網を仕掛ける時も、クジを引き、仕掛ける順番を決めるそうです。
班の1人が寝坊したらしく、迎えにきたとのことですが、そのおかげで僕もサザエ網の舟に便乗することができました。

ちなみに、月布施でサザエ漁をやっている人に野浦の取り決めを話すと「そんな、めんどっちぃ。好きな所にはればいいのさ。月布施の舟付場の先なんか、5列に網が仕掛けてある。たまに網が交差していることもあるけどね」
各集落ごとにルールがあるようですが、この近辺の集落では、今日から8月いっぱいまでが漁の期間のようです。月布施、野浦とも、足ビレはつけてはよいが、ドライスーツとかアクララングは禁止となっています。僕らはどうせ、たいして獲れないだろうと、いうことで採取を認められています。



2001/08/15 (水) 3:56p.m. 阿潟の切り株の里山の手入れ

阿潟の切り株の里山の手入れ


2001年7月15日(日)はれ

今日は、8月11日に行う両津市阿潟での里山保全活動の事前準備を兼ねて、下刈り作業もあったのですが、朝の作業が長引いたこともあり、集合時間に少々遅刻をしてしまいました。既に作業が始まっており、中川恵子さんが僕を待ってくれていました。遅くなってゴメンナサイ!
ヤマの持ち主の鎌倉家の息子さんは、既に作業に入っていたので、彼の口頭での説明で場所を特定し、ノコギリで一掴みくらいの太さの木を切り倒して行きました。でも、暑い!すぐに大汗だくだくッ。15分も作業を行うと、バテバテで給水タイムで15分休憩という状況。それでも、午前中には、結構進んだな、と感じられるくらいになりました。
ヤマの入り口には、排水のための溝があり、切り出した材を使って橋もかけてみました。カケヤがいかれていて苦労しましたが、立派な橋をかけることができました。
さて、帰りがけに、報告ということで、結構進んだな、という満足感をもって、
鎌倉さんに報告、場所を案内すると、「ここは、隣のヤマです」と。ハンマーで、スコーンと頭を叩かれた気分。「午前中、大汗をかきながらやったあの苦労は、なんだったんだぁ〜」と悲しくなりましたが、「ここも手入れを必要としているわけですから。いづれはつながることでしょう」との鎌倉さんの慰めの言葉。とーても悲しかったです。


2001/08/15 (水) 3:53p.m. 




2001年7月15日(日)はれ

今朝は4時頃に野浦の臼杵秀昭さんが「お〜い、今日でトビウオ漁が終わるから起きろ!来い!」と迎えにきてくれました。明日、16日がサザエ、アワビの解禁日で、サザエ網の邪魔にならないようにトビウオ漁は今日で終わりなのだそうです。まだまだ獲れているのにもったいない!と思う小市民です。

トビウオは既に網からはずされていて、さばく作業に入っていました。「海のものは、海で処理をする」とのことで、舟付場の波打ち際での作業です。ウロコを取る道具で、バリバリとうろこをはがし、そして海水でジャブジャブ洗い流します。頭と内臓を取り出し、また海水でジャブジャブ。三枚におろすのは、後で。これで終わりと思ったら、イカ、アジの大きいのもいただいたので、これもここでさばき方を教わりながら処理をしました。

2001/08/15 (水) 3:52p.m. 秀丸のとびだし

秀丸のとびだし


2001年7月14日(土)

朝6時前、野浦の臼杵秀昭さんがやってきました。トビウオ魚が大量の為出荷停止になってしまったそうです。トビウオが網にひっかかるところを真似てくれたりとトビウオ漁の話をたっぷりと話してくれました。秀昭さんのお宅では、上下から火があたるガスコンロでまずはトビウオを焼き上げ、その後ドラム缶の中を4段に仕切って、さらに炭火乾燥させる装置を利用して、トビウオのだしをつくっています。「秀丸のとびだし」という商品名で販売しています。


2001/08/15 (水) 3:51p.m. 月布施・地元学決定

2001年7月13日(金)

夜、月布施公民館の役員会に途中から参加させていただきました。7月29日(日)に公民館主催で、月布施集落の地元学を開催するために、資料をもって説明にいってきました。回覧板をまわすこと、ポスター掲示、昼食はカレーライスなどと、係りが決まっていきました。29日が楽しみですね


2001/08/15 (水) 3:05p.m. 新穂小学校で水辺の生き物しらべ

新穂小学校で水辺の生き物しらべ


2001年7月12日(木)

今日は、「水辺の生き物調べ」を新穂小学校4年生の授業の中で行いました。
新穂小学校4年生32名。学校から歩いて5分ほどの所で水辺の生き物調べの開始です。
まずは、タモの使い方。子ども達は、バシャバシャとタモ振り回すだけで、なかなか生き物ば入ってくれません。佐渡トキ保護センターの横山さんが、まずは見本です。右手でタモをもち、タモの先を水底に押し付け、そして、タモに向かって左足でバシャバシャ水中をかき混ぜて行きます。するとどうでしょう、ドジョウが次々に捕獲できるではありませんか。子ども達も真似てみると次々に、ドジョウ、タニシ、カエル、カワニナ、ヤゴ、ミズグモ、タガメ、ゲンゴロウなどを捕まえることができました。
なかなか捕らえることができなかった、ザリガニも、最後には捕まえることができ、サワガニとヤマアカガエル以外は捕まえることができました。
子ども達は、コンクリートで護岸を固めている水路と、土がり草が生えている小川では、生き物の数が全然違うというのを強く感じたようです。夏休みの自由研究として、今度は子ども達の集落の周辺を、お父さん・お母さんたちと巡って記録をしてね、とお願いして今日の授業は終わりとなりました。

佐渡トキ保護センターがある新穂村は、「トキのむら」をキャッチフレーズに様々な取り組みをしています。2つある小学校もトキに関して様々な取り組みを長年行っています。今回、授業で「水辺の生き物調べ」に取り組んでくれた、新穂小学校4年生では、「総合的な学習」で、様々な角度からトキのことを学んでいます。トキの餌場であった生椿へのハイキング、佐渡トキ保護センターで来訪者へのインタビュー、生椿でトキのための活動に取り組んでいる高野さんを学校へ招いての授業などなど。新穂村の空にトキがはばたくことを夢見て、様々な活動を行っています。

2001/08/15 (水) 3:03p.m. 教育委員会巡り

2001年7月11日(水)はれ

一昨日、納品された「水辺の生き物調べ」の説明書と記入カード、それと新潟県トキ保護基金の手紙をもって、佐渡島内の自治体の教育委員会を巡りました。
昨日は、両津市と新穂村。今日は、赤泊村、羽茂村、小木町の3つ。月布施から両津への道は比較的良い道ですが、月布施から南下する小木方面の道、特に赤泊村までは、崖と海が迫っている所や、竹林の中の狭い山道があり、車で走るのにも苦労するところが多いです。路線バスもこの間は通っておらず、それぞれの集落が向いている街も違うことが伺うことができます。


2001/08/15 (水) 3:02p.m. トビウオ焼き

トビウオ焼き


2001年7月10日(火)はれ

今日も暑い日でした。この暑い中、隣の片野尾の集落のばあちゃん3人グループは、県道横で、大汗をかきながら焚き火で大漁のトビウオを焼いていました。2000匹のトビウオを2日間で焼くのだとか。生で漁協に出荷すると1匹2円。ダシように焼いて干すと、1匹100円以上になるのだそうです。焚き火の周りに、頭と内臓をとり、竹串に刺したトビウオを焼き上げていきます。それにしても、強い夏の陽射しと焚き火で、暑いのなんの!
風向きがかわったのに気づかないでいると、せっかくのトビウオも真っ黒焦げ。1度に焼き上げられる数は、数10匹ですから、2000匹となると…。
ただ、このように魚を焼いていると、通りがかりの人は、とーても気になるようで、覗いていきます。観光客にいたってては、「食べたい!売ってくれ!」と。ばあちゃんたちは、1匹100円で販売していました。焼き上がりは、アユやニジマスなどの川魚のような歯ごたえではなく、パサついていて少々食べるのが大変です。



2001/08/15 (水) 3:01p.m. トビウオ再来

トビウオ再来


2001年7月9日(月)

トビウオがまた戻ってきたようです。
朝、舟着場へ行くと、どの舟も大漁。よその地区でも大漁のようで価格が暴落しているようです。出荷価格が1匹2円とか。月布施の方々の網に入るのは主にマルトビ。このマルトビはスーパーでの価格は、1パック8匹入りで180円くらい。一方、カクトビは1匹150円ほど。これを漁師の方に話すと、「いい値段だなぁ。包装とかの手間がかかっているからな」と。
トビウオは、メスよりもオスのほうがしまっていて美味しいのだそうです。特に、刺身にした時は、その差は歴然。僕の舌でも違いがわかります。
トビウオの卵は、みそ汁の中に入れたり、煮付けたり、塩をして干したりして利用しているようです。塩をして干したを焼いて食べると、酒の肴として結構いけました!
その他、背開きにして塩をして干物にしたり、ダシ用に焼いて干してたりもします。

2001/08/15 (水) 3:00p.m. 生菓子

2001年7月8日(日)

東京での滞在は1泊。午前中は、こちらで子ども達と一緒にやる「水辺の生き物調べ」のための資料を百貨店のブックコーナーで探しました。以外に、田や川にいる水辺の生き物ということで、体系的にまとめてある図鑑のたぐいがないのにはビックリしました。
それと、こちらでお世話になっている方々へのお土産探しもしました。名前だけ変わってどこにでもあるようなものはつまらないし、あまり日持ちするものもつまらない。
暑さが気になりましたが、新幹線とジェットフォイルという高速交通のメリットを考えて、「舟和の芋ようかん」にしました。両津の街中まで車で30分とは言っても、なかなか生菓子を手に入れるのが大変だということで喜ばれました。



2001/08/15 (水) 2:58p.m. ボタンエビ

2001年7月7日(土)

今日は、アフリカのタンザニアに住んでいる日本人の友人親子が実家に一時帰国しているとのことで、彼女らに会うために東京に戻りました。
お土産に郵便局で扱っている「ふるさと小包」のサザエをお願いしたところ、扱っている漁師さんが旅行に出かけてしまって扱えない、とのこと。変わりに勧められたのが、水津漁協で昨年獲れたボタンエビを冷凍してあるというので、それを土産にすることにしました。品物の受け取りは、郵便局へ。送料を引いた金額で購入しましたが、果たしてこれで郵便局がもうかるのかなぁ。
東京の実家に着いた早々に開封。2パックに小分けされており、1パックは実家へのお土産。母がさっそく、そのまま、パクリッ!「美味い!!」と声を発したかと思ったら、もう次のにパクついていました。友人宅では、酒の肴にあうようにと、友人の親父さんが香辛料を使ってフライパンで料理してくれました。こちらも酒が進む、素敵な肴となりました。食べた人の満足顔が、楽しめました。
ボタンエビを勧めてくれた郵便局員さんに感謝です。



2001/08/15 (水) 2:57p.m. NHK外務員

2001年7月6日(金)

我々の事務所の大家さんは、月布施郵便局の局長さん。いろいろとお世話になっており、現在の郵便局にも、ちょくちょく話に出かけております。郵便物の配達は、隣の隣の集落にある水津郵便局が担当していますが、ここの配達員さんとは、月布施郵便局で休んでいるところをよく一緒になり、顔馴染みです。

そんなこともあって、今日の配達の折り、
「中島さーん、NHK見てますか?」
「はい!今、テレビの調子が悪くてNHKとTBS系しか映らないんもんでね」
「あー、そうですか。NHK受信料の契約をお願いします」と冷静な受け答え。
「我々も、ノルマがあるものでして、いやーよかった」。
いつものように暇つぶしの雑談かと思っていたのに……。
NHKの外務員の仕事を郵便局が代行して行っているのでした。


2001/08/15 (水) 2:11p.m. 自給用野菜づくり

自給用野菜づくり


2001年7月5日(木)

今日は梅雨も一休みで、朝から快晴。
爺ちゃん、婆ちゃんたちは集落の上に畑へあがっていきます。
里地ネットワークの事務所前が上の畑に上がる坂道です。こうやってパソコンに向かっていると、大きな窓から、大きなコンテナをひもでくくって背負って、畑を行き来する姿を目にすることができます。
早い人は、暑くならないうちに作業をと夜明けとともに畑仕事にいくようです。
午後、近所のばあちゃんが畑へ上がっていったのを目撃して、追いかけました。
標高70〜80メートル。海が眺めがとてもよいです。集落の一部も見下ろせます。
ほとんどが自家用の栽培のようですが、じゃがいも、きゅうり、いんげん、なす、にんじんなど様々な夏野菜がつくられていました。
帰りに、ばあちゃんからたくさんの野菜をいただきました。1人だというのに、「いいっちゃ、タベルッチャ」と。隣のばあちゃんからもらったタケノコもたくさんあります。季節にあるものを食べる。半端な量ではないですから大変です。東京にいるときは料理などほとんどしませんでしたから、料理の腕が鍛えられそうです。
夕食のメニューは、タケノコご飯(タケノコ、ニンジン、干しシイタケ)、ジャガイモとカボチャのみそ汁、サラダです。そのうち、夏野菜やタケノコの加工の仕方も学ばなくては処理しきれなくなってしまいそうです。


2001/08/15 (水) 2:09p.m. トキのひな公開

トキのひな公開


2001年7月4日(水)

佐渡トキ保護センターで今年誕生したヒナが今日から一般公開されるとのことで、僕もトキ保護センターへ行ってきました。
これまでは、遠く離れたゲージを双眼鏡でのぞくもので、口の悪いお客さんからは「これでは、トキ、ではなく、サギ」との声もあがっていたとか。
今日からは、20メートルほどの距離から眺めることができるようになりました。
これまでのゲージにいる親鳥を双眼鏡でみる人々から「あれれぇ!、白くない!」との声。資料によりますと、下記理由とのこと。

「トキは繁殖期と非繁殖期とでは、全く異なる羽色をしている。鳥類は春と秋に換羽するのが通常である。トキの場合、自分の皮膚(頭頸部)から剥がれた黒色物質を、水浴後の濡れた羽毛にこすりつけて着色する。普通1月中・下旬頃に着色が始まり、3月上・中旬(繁殖期直前)に完成する。雌雄ともに同様で、生殖羽(夏羽)は、上半分の羽毛が黒色である。6月中旬頃から換羽が始まり、10月上旬には黒色羽毛が抜け落ち、非生殖羽(冬羽)となる。」

写真などでみるトキの姿というのは、秋〜冬にかけての短い期間でしかないのですね。
ちなみに、親鳥の顔の色は赤っぽいですが、今年生まれたヒナの顔は、黄色でした。
是非、みなさんもご自分の目で違いをご覧になってください。

■佐渡トキ保護センター
http://www4.ocn.ne.jp/~ibis/index.htm



2001/08/15 (水) 2:08p.m. バスのダイヤ

2001年7月3日(火)

滞在している月布施から両津の街中までは、車で30分ほど。途中何ヶ所かとても狭い道もありますが、2車線の広い道で快適に走れます。
ですが、両津行きのバスは1日に朝の7時代、10時代、14時代の3本。両津よりに3km離れた片野尾からだと、1日に8本。
病院などで診療してもらうのも、バス利用だと現地についてから数時間も待つことになることがしばしばあるそうです。僕の釣りの師匠のばあちゃんも、診療時間に間に合うように出かけるとなると、待合室で2時間以上待つことになるとのこと。ちょうど他の用事で出かけるところだったので、そのばあちゃんを乗せて出かけました。
お年寄りが、両津の街中へバスででかける場合は1日がかり。小中学生には、スクールバスが用意されていますが、高校生らは通勤する親や親戚の車に乗って出掛けるそうです。道がよくなる前は、区長さんの話ですと、下宿をしたそうです。



2001/08/15 (水) 2:07p.m. 嵐のあとで

嵐のあとで


2001年7月2日(日)

昨日は、ものすごく風が強く、晴天ではありましたが、ものすごく白波が立つほど海は荒れていました。ちなみに、この時期のこの辺りの海は、湖ではないかと思えるくらい波が穏やかなのです。今日は、昨日とはうってかわって風もなく穏やかな晴天でした。
朝から、ばあちゃんたちは、畑へ山へ、海へ。「時化た後には、大きな魚が釣れるのよ」と言ってあわてて釣りにでかけた、ばあちゃんは40センチほどの魚を吊り上げ、自慢下に僕に魚を見せにきました。
今は、ちょうどマタケが旬。月布施はかつて竹の産地でもあったことから竹林が広く広がっています。おばあちゃん方は、ヨソモンである僕に旬の味を楽しませてあげようとのことから、次々にマタケのタケノコが届けられました。その数10数本。ひとりなのにどう処理すりゃいいんだぁ!
早速、料理本とインターネット検索で、料理の仕方と保存の仕方を学習しています。
マタケはあくが少なく、そのまま茹でただけでも、とーても美味です!!



2001/08/15 (水) 2:06p.m. 高野毅さん

高野毅さん


2001年7月1日(日)

今日は、新穂村振興公社のイチゴ・プラントで働いている高野毅さんを訪ねました。
高野さんはトキが餌場としていた生椿の出身。高野さんのお父さんの故・孝治さんは、金魚やドジョウなどを自費で購入し、自分の田んぼに放しトキの餌として放していました。当時、新穂村清水平にあった旧トキ保護センターへ、生椿から片道6kmの山道を通ったそうです。孝治さんはその父から「トキは友達だから大切にしなさい」という教えを守り、生椿の集落あげての保護活動の中心人物でした。孝治さんの息子の毅さんも、父や祖父の遺志をつぎ、生椿の空にトキが舞う日を夢見て、さまざまな活動をされています。
今年5月19日には、30数年来使われていなかった4畝38枚の元田んぼを、私どもと一緒にボランティアの協力を得て、復田する作業を展開中です。

トキの餌場となっていた生椿の体験からか、水辺の生き物に関してはどこでも気にかかるようです。勤めているイチゴ・プラントの敷地は、加茂湖のすぐ横で、谷に広がる田んぼの先に道路を1本挟んだ所に立地しています。敷地の周囲には、排水用の溝が掘られており、この排水路が上の田んぼや加茂湖とつながっていて様々な水辺の生き物を見つけることができます。ドジョウ、タニシ…。先日の大雨の時には、体長50センチほどのナマズがバシャバシャとこの溝を泳いでいるのを発見したそうです。今も、大きなドジョウやハゼなどが同居して不思議な世界があります。夏場には水が枯れてしまうことが多いようなので、1年中生き物が棲息できる環境を作りたい!と高野さん。

2001/08/15 (水) 2:04p.m. 魚三昧

2001年6月30日(土)

今日、朝から魚三昧の1日でした。週末とあって、沖にはイカ釣り舟が10艇ほどが漂っているのが、岸から眺めることができます。
カニを獲る用のカゴをテトラポットに紐でくくりつけたらしておいたのを、引き上げると20センチ程のハチメと小さなフグが入っていました。竿で釣れるのはこの半分ほどのものしか釣れないのに不思議です。しかし、5月から同じ所に仕掛けているのに何度も同じ大きさのものが入ってくれます。魚の通り道なのでしょうかね。そして、昨日さばいたトビウオの内臓や頭をそのカゴに餌として再び、テトラポットから垂らします。

今日の月布施集落の方々のトビウオ漁は、どこの家もどこも20〜40匹と先週末に比べると少なめ。昨日は、隣の隣の北の集落、水津では大漁だったというのに不思議です。
塚田さんもこの日のトビウオは20匹。先週末は800匹も獲れたというのに、「もう北上してしまったかなぁ、今年の漁はおしまいかな」と。
昨日も「今日でおしまい!」と言っていたのですが…。少ないながらもご近所におすそ分けをします。僕もそのおこぼれにあずかりましたが、今日は、いつもは、カモメにくれてやるという10センチ弱のアジなどもいただいちゃいました。本日の食卓には、大きいアジとイカ、ハチメは刺身。小さいアジのからあげ。どれもとーても美味でした!


2001/08/15 (水) 2:03p.m. トビウオ

トビウオ


2001年6月29日(金)

日本海のトビウオは5〜7月に沿岸近くに寄ってきて海藻に卵を産み付けるそうです。佐渡ではトビウオのことをアゴと呼び、カクトビと背腹の円いマルトビを区別しています。カクトビは鮮魚で刺身、マルトビは焼いて天日干しにし、そうめんやそば汁のだしに、などとガイドブックには書いてあります。今、滞在している月布施の方々の網に主にかかるのはマルトビ。
今日は、トビウオとの格闘でした。台所は狭いので、玄関口にある外の水道で、腰をおろして、いただいた10数匹のトビウオを裁きました。まずは、三枚におろし。とにかく、うろこのある魚で、包丁でこすると、バリバリバリッという感じで、ウロコが気持ちよいよどたくさんはがれていきます。水面をはたいて飛ぶための大きなヒレがありますが、これごと頭を落として、お腹裂いて、内臓を取り出します。そして、三枚に。包丁も、腕も悪いものだから、悪戦苦闘です。通りがかりのばあちゃんが、その姿を見ていろいろとちゃちゃを入れていきます。「何を作る?…フライか? じゃ、キャベツやる」
大家さんは、練習しなさい、とばかりにさらにトビウオをくれました。
悪戦苦闘の末、できたメニューは3品。トビウオの刺身、小麦粉・とき卵・パン粉をつけてフライ、それと、トビウオのチャンチャン焼き。トビウオの刺身は先日の歓迎会の時にご馳走になったであろうものとは、少々外見が違いますが、結構いけました。
料理の仕方もそうですが、まずは包丁の手入れの大切さを痛感しました。



2001/08/15 (水) 2:01p.m. 心のよりどころ

心のよりどころ


2001年6月28日(木)

里地ネットワークが借りている建物は、数年前まで郵便局として利用されていました。郵便局時代のなごりの設備、品物が多く残っています。場所は、海岸から30〜40メートル程入っています。すぐ目の前を幅5メートル、深さ3メートル程の3面張りの川が少々傾斜がついて流れています。先日の大雨の時は、たくさんの水が流れる音とともに、大きな石が転がっていく音までも聞こえ、ちと恐怖感さえ感じてしまいました。

さて、その対岸にはお堂と大きな桜の木があり、婆ちゃんたちと猫たちの憩いの場となっています。その隣にあるのが、両津市の水津支所。木造2階建ての古い建物です(写真)。旧水津村の役場として建てられました。旧水津村は、北から水津、片野尾、月布施、野浦、東強清水、東立島の集落から形成されていて、その真中にあたるということで、ここ月布施に役場が置かれ、昭和29年の合併を機に両津市の支所となっています。2階は、かつて小学校として使われていた時期もあるそうです。書類などの交付などとともに、この一角は人々の憩いの場でありつづけているようです。

全国的な行政の合理化の掛け声のもと、この支所もその対象となっていて、いろいろと検討がなされているようです。今晩は、役場から助役をはじめ担当者が住民の方々に対して、説明および声を聞くための会合が公民館でありました。当初は、全面廃止だったようですが、どのように残すかというような議論になりつつあるようです。熱心な議論が続きましたが、印象的な意見としては、「明治22年以来、地域住民の心のよりどころだった施設なわけだから、その辺の気持ちをくんでほしい!」という声。「心のよりどころ」があるというのも僕など都会育ちのものにはうらやましいです。



2001/08/15 (水) 2:00p.m. トキの野生復帰の時期

2001年6月27日(水)

今朝の新潟日報では、1面に下記見出しの記事が掲載されました。
■新潟日報(2001年6月27日)
「トキ野生復帰2007年度から 〜県、島内連絡会議で方針〜」

あれー!環境省の予定よりも早いぞッ!昨日も担当者と一緒だったのに???
どうも、昨日の会議を受けて、100羽の予測から記事が作られたようですね。

午前中は強い雨。髪の毛が伸びてうざったくなっていたので、大家さんの郵便局長に紹介されて、車で10分程の赤玉集落の床屋へ出掛けてきました。床屋さんは東京からお嫁にきた50代の女性。こちらにきてから、このあたりの人々が床屋がなくて困っているとのことから、親方について修行して床屋を始められたそうです。僕は坊主頭をお願いしました。
僕がトキ・プロジェクトにかかわっていると話すと、
「私も1回だけ、見たことがあるよ。そこのとこに保育園があるんだけど、夕方、うちの子供を迎えにいった時に、5,6羽だったかなぁ、あんな、きれいな色の鳥、みたことないよ。トキを見たのは、それ1度きり」。里地ネットワークの資料を一式お渡しすると、「みんなに見てもらえるように、置いておくからね。頑張ってね」
たまたま訪ねてきた、同年代の女性は、「私はトキを見たことはないわ」。今朝の新潟日報の記事を取り上げて、「そりゃ、ムリだわ! 野生にいたころと今とは、環境がぜんぜん変わってしまったもの」。

トキとの出会いのお話を聞いてつづっていくのも面白そうですね。ぼちぼちと集めて、ご紹介していきたいと思います。お楽しみに。

2001/08/15 (水) 1:59p.m. タケノコ

タケノコ


2001年6月26日(火)

この時季、海ではイカ、トビウオですが、山はマタケのタケノコの季節です。婆ちゃんたちは、朝早くから、みなさん、集落のすぐ上に続く竹林に入っていかれるようです。ヨソモンである僕が婆ちゃんと話し込むと、タケノコ持っていくか?
前浜地区はどこもそうですが、集落の上の山の斜面に畑や田んぼ、竹林が続いています。上から降りてくる時、背負っている袋やコンテナからはタケノコの何本も頭をのぞかせています。このマタケですが、アクを抜かずに十分食べられるのです。みそ汁の具、キンピラ、若竹煮、頭の部分は天ぷらなどなど。僕が一番すきなのは、茹でた頭の部分を、パクッとやるのがたまりません。とーても美味です!!
この数日で、数年分を食べてしまった勘定です。
 ところで、トキに関する記事がありましたので、概略をご紹介します。
■日本農業新聞(2001年6月25日)
〜トップは語る〜
JA佐渡 山本茂樹組合長
「農業に自信と誇りを〜国益を考え消費者と行動〜」
トキが住んだ農産物の宝庫
絶滅寸前のトキは最後の生息地として佐渡を選んだ。トキが安心して住める豊かな佐渡の自然風土は、いま消費ニーズとして高まっている安全・安心な農産物を生産・供給できる宝庫である。この佐渡から実践していきたい。
■日本農業新聞(2001年6月25日)
業界スポット
日本のトキ 絶滅の背景
「農薬ニューズレター」(25号)
有機合成農薬が導入される以前に、種の絶滅の危機に巻き込まれていたことを紹介している。

2001/08/15 (水) 1:57p.m. 水辺の生き物しらべのお願い

水辺の生き物しらべのお願い


2001年6月25日(月)

里地ネットワークでは、新潟県と協力して「水辺の生きもの調べ」を企画しています。この「水辺の生きもの調べ」は、トキの野生復帰をめざした、自然環境調査・地域社会づくりのもとになる、大切な情報として、活用していきます。子ども達の環境保護への啓発にも大いに役立つ大事な調査です。対象とするのは、サワガニ、ザリガニ、タニシ、カワニナ、ドジョウ、メダカ、ヤマアカガエル、アマガエル、ツチガエル。野生下にいたトキが餌として食べていたもの。そして、水辺の生き物としてメジャーなメダカなども含めてみました。調査カードは現在作成中ですが、近日中に教育委員会を通じて佐渡島内の全小中学校にお願いをする予定です。
今日は、「水辺の生きもの調べ」を両津市の前浜地区(小佐渡の北の部分)と新穂村の小中学校へ教育委員会経由でお知らせする前に、お願いしに巡って来ました。
同行者は、新潟県鳥獣保護係の佐藤さん、佐渡トキ保護センターの横山さん、里地ネットワークの中島と小関。今日巡った学校は7校は次の7校。野浦小学校、片野尾小学校、両尾小学校、前浜中学校、河崎小学校、行谷小学校、新穂中学校。
 前浜地区は最後までトキが棲息し、住民の方々も棚田に餌場を作るなどの協力をしてきた地区ではあります。50代の年配の方々でも野生のトキをみたことがある方は少なくなりつつあるようです。今日巡った両津のある小学校の校長先生がおっしゃった言葉が印象的でした。「トキがいた事実を子どもたちが学ぶことは大切だと思う。でも、トキを観たことがない子ども達もいる。できれば、教育の場でトキを観れる機会を考えてほしい」と。 一方、「トキの村」を謳っている新穂村の小中学校は、これまでに「トキ」をキーワードに様々な取り組みをされてきているようです。行谷小学校には、「新穂村の空にトキを飛ばしたい」との標語もあるそうです。「トキ」の様々な取り組みを進める中で、「水の大切さ」は授業の中で取り組みをされており、不耕起栽培を学校田で取り組みたいと思っていて、近々、埼玉から不耕起栽培の先生を招いて授業を行うそうです。新穂村の稲作でも環境を意識して、不耕起栽培の取り組みが今年から始まったといいます。
 子ども達の学習してきたことと、地域の活動がおぼろげながらつながる可能性を垣間見たような感じです。


2001/08/15 (水) 1:55p.m. イカ釣り

イカ釣り


2001年6月24日(日)

この時期、夜浜に出て海を眺めるとイカ釣り船の漁火が、水平線近くでいくつも光り輝いています。 日本海に生息するイカ類の最もポヒュラーな種はスルメイカだそうです。イカの代表的な選手で真(ま)イカとも呼ばれています。イカというと白いものと思っていましたが、褐色の濃い方が鮮度がよいそうです。先日も両津のスーパーで白いイカを手にしたら、横にいた見ず知らずのおばちゃんが「そんなの選んじゃダメッ!褐色のほうが新鮮なんだから」と教えてくれました。
 イカは春から秋に日本海を北上、秋から冬にかけて南下し、短い1年の寿命を終えるそうです。5〜7月にかけて佐渡沖には好漁場が形成され、イカ釣り船の漁火は、佐渡の夏の風物詩となってもなっています。
しかし、月布施や隣の野浦の集落の方々のイカ釣りは、少し違っています。4人載りのボートに船外機を付けて、早朝に出かけていきます。沖合い数百メートル、水深80メートル位のところが魚場です。早朝4時頃から6時くらい間に、出勤前に楽しまれている方々が多いようですが、やはり土日が一番舟の数が多いです。
今朝は朝4時前に起床して、近所の方の舟に乗せていただきました。我々が出漁した時には既に10艇ほどが出漁していました。他の舟の近くで、糸をたらします。糸の垂れ具合で水深がわかる計測器がついて、ここの水深は75メートル程。仕掛けは一番先には魚の形をした疑似餌、複数の針が円になるように束ねられていて、1つの仕掛けに5〜8個つけられています。一番上には、イカをおびき寄せるように水中ライトがぶら下げられます。糸を垂らし、上下にしゃくっていると、そのうちに竿に重みを感じ、しなってきます。そしたら、リールを巻き上げます。水面から顔を出したところで、イカは水を吹き上げます。続いてスミを吐き出します。何度も海水をぶっかけられましたが、幸なことにスミは着ていたカッパにぶっかけられただけでスミました。
 我々の今日の釣果は、イカ35匹。早速、イカのさばき方を教わりながら、刺身、イカの丸焼きをゆず味噌、イカの内臓のホイル焼き、そして、いただいたトビウオの刺身、フライと朝からご馳走が並びました。「美味しいものがならんだら、やっぱりお酒でしょ」ということで、朝からほろ酔い気分にもなっちゃいました。休日だから許してね。



2001/08/15 (水) 1:52p.m. 水辺の生き物しらべ

水辺の生き物しらべ


2001年6月23日(土)

今日は、二日酔いの体に鞭を打ち、長靴を履いて、たま網をもって、地元の人にも協力していただき「水辺の生きもの調べ」を行いました。調査を行ったのは、「ホタルの里」として売り出し中の両津市の久知河内、両津市との境の新穂村潟上地区、阿潟集落ののKさんのお宅周辺の3ヶ所。
 久知河内は、ちょうどホタル鑑賞の季節とあって、集落の中、「ホタルの里」のノボリがあちこちに掲げられています。ホタル生息地田んぼには、アマガエル、カワニナ、オタマジャクシが多く観られました。残念だったのは、昨年、ホタルの餌であるカワニナがたくさんいた田んぼがカボチャ畑になってしまっていたこと。減反の調整のためでしょうか。 新穂村潟上地区は、加茂湖に面する谷に田んぼが広がっています。加茂湖でのカキ養殖を行っている農家もいることから空中散布は行われていない地区です。尾根沿いに集落があり、谷に水田が広がっています。水田に降りる斜面には竹林。この斜面の下の方では、湧き水がでていました。この下数十メートルで田んぼに注がれています。まだU字溝ではなく土そのままの水路です。ちょうど田んぼの中干しをしていて、田んぼの一部にしか水がありません。そのような所に生き物が集まっているのか、畦を歩くたびに、バシャバシャバシャッ、ドジョウやオタマジャクシがけたたましく動き回っていました。それと、うれしかったのが、メスがオスの背中に卵を産み付け、オスが卵を背負って泳ぐコオイムシを見つけられたことです。
 阿潟集落ののKさんのお宅周辺では、台所や洗濯、浴槽の排水を貯めている池、トイレの排水を貯めている池で生き物を探しましたが、今日巡った中で生き物の種類、そして大きさ、いづれもナンバー1でした。人間の排出するものの栄養がいちばんあるのか、それとも大きく成長できるまで生き残れているということなのか、ちと興味深い結果となりました。ここ阿潟のKさんの敷地では、7月15日(日)と8月11日(土)には、里山保全活動とビオトープづくりをここで行うことにもなりました。追ってご案内を差し上げますので、みなさん、参加してくださいネ。



2001/08/15 (水) 1:50p.m. よろしくお願いします

よろしくお願いします


2001年6月22日(金)

 2年間の予定で既に5月中旬から、里地ネットワークとして月布施の旧郵便局舎を借りてはいましたが、東京での仕事の関係で、この間半月程まったく留守にしたり、事務局長・竹田、事務局・小関の3名がそろうことがなく、これまで月布施の集落の方々に改まってご挨拶をすることができないでいました。
6月22日にようやく集落の方々にご挨拶をできる運びとなりました。
集落は40戸ほどですが、全戸ということではなく、区長さんの声掛けで、有志の方々に歓迎会をしていただきました。宴会の食べ物は、1人1品ということで地のモノをそれぞれに料理して持ち寄ってくださいました。今日獲れたというカレイの塩焼き、タコ、タイ、トビウオの刺身、クロバチメの煮付け、野菜の煮物……。どれから食べようかな、と思い始めたところで、司会の方が進行を始めました。
 挨拶、そして、乾杯! 
 すぐに自己紹介の順番が回ってきました。いつもより少々長めに自己紹介をしていると、「注ぎにきたんだから…」と催促をされて、自己紹介をそこそこに、コップ酒で日本酒を注いでいただくと、そのままたてづづけに4,5杯を一気にやってしまったのがいけなかった! 一気に酔いが回り、里地ネットワーク事務局長の竹田が事業説明をしているあたりまでは、かすかに記憶があるのですが…ご馳走を食べたのか、食べなかったのか?カラオケを歌ったらしいですが、そんなのまったく記憶にありません。ただ今は、地球が激しく揺れています。
「ときどき日記」は、ここでの日々生活していく中で、考えたこと、学んだことを書き綴っていきたいと思います。「ときどき日記」という名前がついちゃいましたが、「ときどき」ではなく、毎日アップするよう頑張りますので、みなさん、お楽しみに。
ご意見、ご感想、励ましのメールもよろしくお願いします。

うー、しかし、今日は宇宙が時化ているのか、地球がよく揺れていますネ。