シンポジウム 1
トキの野生復帰をめざして 共生と循環の地域社会づくりシンポジウム
平成12年11月18・19日 佐渡島開発総合センター 平成12年11月18・19日、新潟県佐渡島、両津市の佐渡島開発総合センターにて、シンポジウムを開催しました。ご存じの通り、中国から贈られたトキのつがいにより、平成11年度に1羽、今年度には2羽のヒナが誕生しました。人工繁殖によって個体数の増加がはじまりました。近い将来の課題として、「野生復帰」のことを考える段階になっています。 日本における最後のトキ生息地であり、保護と再生の事業を続けてきた佐渡島で、将来、トキが舞う姿を見ることができるのでしょうか。そして、そのとき、人々の暮らしとの共生は可能なのでしょうか。どんな地域づくりができれば、トキとの共生は成り立つのでしょうか。このシンポジウムを皮切りに、トキと共生し、佐渡の人々が自ら生き生きと暮らせる地域づくりの方法を考えることになります。 今回のシンポジウムでは、これまでのトキと佐渡の関わり、コウノトリやガンなど、トキと同様に絶滅や絶滅の危機にある野鳥と地域の共生を模索している実例などを取り上げ、佐渡に住む方々を中心にして考えるきっかけになったと思います。 シンポジウム参加者と発言要旨 開会の挨拶 小林光氏 環境庁長官官房審議官 「トキの生息環境は日本のふるさと原風景のようなもので、自然環境を復元し、維持し、トキの生活と人間の生活が接点を持って共生するためには様々な困難が予想されます。このシンポジウムはなにかをまとめるために開いているのではありません。地域のみなさんとともに今日をきっかけにして一緒に考えていくためのものだと思います」 開催地挨拶 高橋豊氏 新潟県環境生活部長 「21世紀は環境の世紀と言われています。地球温暖化・酸性雨・ダイオキシン・環境ホルモンなど、大きな課題の中で、トキとの共生というテーマは明るく夢のあるテーマです。21世紀の佐渡の大空にトキが舞うことを期待しています」 基調報告 佐藤春雄氏 佐渡とき保護会会長 トキにニッポニア・ニッポンの名前がつくまでの歴史や世界のトキの仲間の解説の上で、戦後、佐渡に戻り、トキと出会い、トキの観察と保護活動をはじめるまでのいきさつを話されました。 「トキを保護するには何を食べているか調べなければならないので、糞を調べました。糞を見ていると、農薬との関係、農薬が使われて、薄まっていった様子がわかります」 基調報告 池田啓氏 コウノトリの郷公園・田園生態研究部長 「トキよりも大型のコウノトリは、大きな松の上に巣をかけて川や田でエサを採る生活をしていた。トキと同じような経過で絶滅した。昭和60年にロシア・ハバロフスクから贈られたコウノトリが繁殖し、現在72羽となった。コウノトリもトキも、彼らの生息環境を維持していたのは農業のシステムであり、絶滅にも、復元にも一番の要因となる。野生復帰とは、自然環境を維持していた社会システムを、もう一度新たな形で作るということでもある。 兵庫県立コウノトリの郷公園には、野生化に向けて湿地などを用意した場所と増やすことを中心にした場所がある。現在は、野生復帰のために、エサの確保ができるか、危険はないかなどの調査段階にある。野生復帰のためには、まず、飼育繁殖技術があり、次に、かつて生息していた自然環境の調査が必要であり、社会環境の整備が必要である。社会環境とは、たとえば、かつてコウノトリは田んぼの稲を踏む害鳥とされていた。コウノトリが空を飛ぶとき、地域社会が理解し、受け入れ、地域の環境政策まで考え、取り組まなければならない。 研究したことがらはすべて市民に開放し、ゼミなども一緒に行う。また、野鳥の保護に関わる地域とのシンポジウムを行ったり、ボランティアの養成などへの協力も欠かせない。 近年、地域の農家が、農薬を使わないアイガモ農法に取り組んだり、電力会社が、郷公園の電柱・電線をなくし、地下配線にしてくれたり、ソーラーパネルの会社がパネルを提供してくれたりしている。ロータリークラブは炭焼き釜をプレゼントしてくれた。 豊岡市も、空港やJR、交番、商店街などにコウノトリのマークや絵、シンボルを据え、地域にもコウノトリが根付きはじめた。 野生復帰は世界的にも難しい作業だが、トキもコウノトリも、人との関係が一番重要な生物であり、野生復帰するということは人間にとっても心地よい環境ができるはずである。地域づくりをベースにしながら、野生復帰をやっていきたい」 基調報告 呉地正行氏 日本雁を保護する会会長 図表を使って、宮城県田尻町のガンを保護する活動について解説していただきました。 「蕪栗沼は日本の湿地の中で、かつての原風景が残されている数少ない沼であり、生物多様性の高い沼である。蕪栗沼を特徴付ける生き物がガン類。蕪栗沼では、マガンが、冬になると多数飛来する。 ガンが生活するには、夜、安全に過ごせる広くて浅い沼とエサ場となる広い水田が必要。浅い沼が干拓され、広い田が分断された影響で、生息地が減り、飛来数も減った。今は、1940年代ぐらいに飛来数も増えたが、生息地が40ぐらいから増えないことが、環境の変化を物語る。 4年半前、宮城県が、災害防止の目的で掘削計画を立てた。そこで、行政・農家・議員など環境に関心ある人・生活の中で関わりの持つ人・各分野の専門家などキーパーソンと「蕪栗沼探検隊」を行ない、沼のすばらしさを体感してもらった。 そして、それをふまえて議論した。国会でも取り上げられ、掘削不要となった。そして、県の河川課が、蕪栗沼遊水池懇談会をたちあげた。これは関係者すべてが入った円卓会議で、実質的な本音の議論が十分できる場になった。すでに、環境に配慮して事業計画を変更するなどの成果が出ている。さらに、NPO法人の蕪栗ぬまっこくらぶができた。地域の人としっかり根を張った活動ができるようになった。 ガンとの共生は、農業の問題でもある。多くの農家の人は、米に害を与えるのでガンは敵だと考えている。 しかし、一方で、ガンとの共生をはかることもできる。現在の水田は、冬場カラカラだが、ここに水を張ると水鳥にとってはオアシスとなる。そこで、冬期湛水水田を提唱している。不耕起栽培とこの冬期湛水水田を結びつけ、ガンを付加価値として環境に敏感な人に一般より高い値段でコメを買ってもらっている人もいる。初雁米と言って、早生種を植えて「初雁」の頃に「初刈」するコメを作る人もいる。地元のコメを使ったお酒の「雁音(かりおん)」ができて、売上の一部が「雁音基金」とされ、蕪栗沼の環境保全基金になるという仕組みをつくったりしている。 実際の被害もある。田尻町ではガン・カモ類による補償条例を作った。その上で同じ土俵で、ガンを活用する農業のやり方について一緒に考えようという提案を行い、話し合いを続けている。 生物多様性が高いということは豊かな湿地を意味するが、自然に関わる地域づくりをする場合にも、人間の多様性と相互理解が大事である。立場は違っても、お互いが話し合いをする中でお互いを理解する。それにより共通する部分を広げることができ、誰が何をするべきかはっきりする。それぞれが自分の仕事を認識するなかで、農業との共生とか環境教育とか、その他いろいろ担っていく。ひとりひとりの力は小さくても全体として大きなことができ、夢が描ける。やっていても楽しいし、誇りも持てる。地域の人が主役になって活動していくと地域の人が生き生きとしてくる。田尻町ではそういう空気が出てきている。この前のワークショップで地元のおばさんたちが、『世界の蕪栗沼は…』と堂々と発言をしている。田尻町は変わってきたと思う。 どこでも、そこにある宝を見つけ、それをみんなが誇りに思う心を作っていけば、生き生きとした地域活動が展開できると思う」 基調報告 近辻宏帰氏 佐渡トキ保護センター長 トキの繁殖行動、産卵、孵化、成長の様子をスライドで説明されました。 「今は、繁殖個体を増やすことが目的の段階であり、中国の協力体制のおかげでできている。繁殖ペアが増えればヒナの数も加速度的に増えていくだろう。それができた段階で、いざ野生復帰というのでは手遅れなので、あらゆる分野の方が手を貸しあっていくべきだ。基本的には、トキは田んぼをキーワードとして人との共生を求めてきた種じゃないかと思う。大変困難ではあると思うがトキという種の本質からいくと、共生は可能ではないか」 「一般的な鳥は換羽といって羽がぬけかわるが、トキはそれをしない。顔の裸出部は赤い色で、冠毛がある喉頭部と毛が短く柔らかい首の部分の皮膚が黒い。そこから色素が剥がれ落ち、水浴びした後、それをこすり付けて羽を着色していく。 かつて、トキには黒白ふたつの型があるとされていたが、繁殖期の色だとはっきり示したのは佐藤春雄先生である」 プレワークショップ報告 佐藤準氏 佐渡トキ保護センター 10月28日に開催した両津市野浦での地元学ワークショップと10月29日に開催したトキの生息地を訪ねたワークショップについて内容と可能性を説明されました。 「参加した人が同じ物を見ることができ、作業を通して共通の認識を持てるようになる。世代間で情報の伝達ができる。おじいちゃんおばあちゃんが知っていても、子・孫は知らなかったことが、こういう作業を通して伝えられる。他の人たちに調べてもらうのではなく、自分たちで調べるということ。それによって自分たちの地域の将来を考えるきっかけとなる。 地域の外の人が入るので、地域と外とのつながりがうまれる。地域の中で新しいつながりがうまれる。新しい産物が出てくることもある。自分たちの地域を良く知ることは、地域を作る将来の計画みたいなものに生かされる。21世紀は環境の世紀といわれる。それを考えるとき、今説明したような地元学のやり方は非常に面白い」 「清水平から生椿で行ったことは、野浦の地元学とは基本的に違う。参加者が自分たちの生活域を調べるのではなく、清水平や生椿は、参加者の生活とは切り離された場所である」 「野浦でのやり方にしろ、トキの生息地調査にしろ、大きな効果を期待できる。方法は非常に簡単なので、四季を通じて何回も繰り返していけば、地域の情報が地域の人たちの中にたまっていき、その中から新しいものが生れるかもしれない。それが将来の、生物と人間の共生につながる可能性がある」 パネルディスカッション コーディネーター 大島康行氏 自然環境研究センター理事長 パネリスト 小林 光氏 環境庁長官官房審議官 佐藤春雄氏 佐渡とき保護会会長 山本茂樹氏 JA佐渡組合長 高野 毅氏 生椿農家 地元佐渡の生産者を交えてパネルディスカッションを行いました。 山本氏:「JA佐渡として、日本のトキが最後の生息地として選んだ場所、それだけ環境のいい所ということを活かして農業振興等に取り組んでいきたい。トキが住むのにふさわしい農業を築いていく取り組みが重要で、いろんな人の知恵を借りながら努力したい。 私は椎茸専業農家である。一切農薬などは使っていない。30年間の農業生活を通して、経済優先の中で自然環境が犠牲になっていくのを見てきた。椎茸の原木のために、広葉樹の伐採が必要。そこで、伐採後、杉を植えない、広葉樹を残す地主の山だけとつきあってきた。昔は野ウサギがいたが、害獣ということで、テンが放され、ウサギの姿を見なくなった。生態系が崩れ、山の土砂が流出していく。トキが佐渡の空を飛ぶことは、自然環境が戻ることであり、協力したい」 高野氏:「生椿は新穂村の一部。標高300mの盆地である。トキの群れが仲良く餌をついばんでいたところを見て育った。5月になると雪椿が満開、椿の真っ赤な色とトキの色がコントラストとして絵になったことを思い出す。現在は生椿の棚田で米作りをしており、父たちが培ってきた餌場を残していこうと取り組んでいる。 父の故・高野高治は、トキの保護活動を続けてきた。私の祖父は父が幼い頃、「トキも腹を空かしているんだから腹一杯食わせてやれよ、追い払ってはいかんぞ」と言っていた。 戦後、昭和23年から、田んぼにため池を掘って、ドジョウ・タニシ・カワニナ・サワガニなどをトキに与える取り組みをしていた。冬には、新穂村の土屋養漁場さんからコイやマブナの稚魚を買って、田んぼに放して育てた。 地域で、牛を全戸が飼育していたので、たい肥ができ、化学肥料の使用は減り、プランクトンも発生していたため、田んぼでコイが1年で7〜8cmに育つ。冬場は除雪して、エサ場を確保していた。この活動はこの活動は20年間続けられた。 昭和34年には生椿全員による、トキのねぐら調査を1年間かけて行なった。飛んでくる方向・羽数・天候・時間まで記録した。子供達まで含めた取り組みであった。調査内容と記録は、新穂村教育委員会に報告して認められ、給餌活動と保護運動は続けられることになった。 東京都世田谷区立給田小学校では、5年生の教科書に記載されたトキの記録が、保護運動と募金活動に前進した。父との間で20年間も募金と文通が続けられた。 私自身は、先祖が300年かけて作ってきた生椿の歴史を後世に伝えたい。父が残してきた、あるいはやり残した仕事、亡くなるまでに何とかトキが増えるのを見たいなぁといっていたその夢をかなえたい。個人の力だけでは大変だが、父がいつも言っていたように、生椿の空に、トキの再来をと思っている。 昭和6年に27羽のトキを見たそうだ。その時の感想は、「辺り一面に牡丹の花が咲いた」ようにきれいだったと感嘆したそうである。 そういう光景を、次代を担う子供達に、もう一度見せてやりたい。達成はできなくとも、道づけを私がやれば、と思って、棚田での米作りと、自己流であるがあずかった餌場の確保を行っている」 小林氏:「中国洋県の奥の、サンチャハという繁殖地では、ひとつひとつのトキの巣を、24時間監視して、ヘビが木にのぼると叩き落すということまでしていた。繁殖期以外のときは、ねぐらで、トキがサギの群れと一緒になっている。トキはかなり群れで生活する鳥と思う。人がいじめさえしなければ、人になれる感じの光景であった。 昔は、ドウ(トキ)は、サンギ(サギ)・スズメとともに農業に害をなす鳥とされていたから、野生復帰させてもし増えたらどうするか、ということも思い描きながら皆さんと考えていきたい。縮こまらず少し楽しみながら考えていきたい」 大島氏:「生物たちが共生しあいながら、豊かな生物相のある自然を作ることと、人間と生き物たちとの共生。豊かな自然との共生を作るために人間が犠牲になりすぎてはいけない。やはり、ある程度の強化は必要だけれども、同時に豊かな人間社会・農村社会を形成することが大事。では21世紀の豊かさとは何かという問題まで含まれてくる。これはいろいろな人達が相互に議論しあって作り出していくものだと思う。総合的な問題を含んでいるので、佐渡に住むいろんな分野の方々が、忌憚なく、21世紀の佐渡の将来がどうなるか考えていただくことが大事。子ども達のためのシンポジウムがあってもよい」 佐藤春雄氏:「野生復帰について考えるとき、農薬が問題になるとの声がある。一方で、現実に農薬を使わずにすむだろうか。たとえば、放棄された常水田を餌場にして農薬を撒かない工夫をする、トキが好きな田を借りて、そこを餌場として農薬を撒かないで餌をいれていくようにすればいいと考える。またトキは、田んぼだけでなく川にも依存する。これからの工夫によって、いくらでもトキの餌場を提供できるのではないかと考えている。 松枯れについては、当面高い木で代替することも可能だろう。 減反が進んでいるが、山の田んぼから先に田んぼが減っていく。トキの復帰できる田んぼが減っていく。山の田んぼは減反面積から除外するなどの工夫はできないか。また、田んぼを放棄するとがけ崩れ・水害などの危険が起こる。9月から4月の間、水の管理をする専門の見巡り職員をつくれないだろうか」 小林氏:「農薬の影響については、近縁種での調査なども必要だろう。また、農薬も人間や生物に影響の少ない製品開発が進んでいるので、そういう展望も開きたい。 かつてと今の自然環境は違う。現状の自然環境に手をつけないということではない。たとえば大きくなった杉林を大事にしていく、どういう環境が必要なのか、ちょっと人手をかけることもあるのではないか。こういう議論をこれから皆さんとしていきたい。 いずれにしても、トキにとっても人間にとっても豊かに暮らしていけるような社会づくりはどうしたらいいか、壇の上でではなく車座になって、朝まで討論というのをやってみたらよいのではないか」 池田氏:「コウノトリも、観光面でも使える素材。松葉ガニを食べに来るツアーに組み込まれている。10万人規模の人が来てくれる。観光だけでなく、地区の中で、シンボルマークを作ってかばん作ったりTシャツを作ったりしている。IUCNのガイドラインにも、野生復帰の事業は地域社会の経済に貢献するというのが項目にある。 トキにしろコウノトリにしろ、絶滅の道を昭和30年代から40年代にかけてたどった。ここにこられている方の目のまん前で、絶滅した。逆に考えれば、その頃の経験をいまだ皆さ野生復帰は単なるノスタルジーではなく、松の木がなければ、100年後にできればいい。それまでの間は、人工の巣でもいいから、みんなでわいわい言いながら、楽しくやっていったほうがいい。かつてトキやコウノトリが絶滅したときは、みなさんは、絶滅の歴史を目撃・傍観していただけだった。これからは、歴史を自分達の手で作っていかないと、21世紀はない。歴史の参加者であってほしい」 呉地氏:「トキだけを見ているとトキは救えない。それを支えている環境を含めて見ていくことが不可欠だ。環境の問題は、あまり深く入り込んでいくと心が暗くなり出口が見えなくなってしまう。まず夢を描くことと、夢を描ける心を持つことが必要。どういう姿がトキにとっても佐渡の人にとっても望ましい佐渡の姿なのかについて、全体の青写真を皆さんで議論して作ることが大事だ。それができたら、その青写真からかけ離れている現状の課題をひとつひとつ青写真に近づけて行く。環境の問題は、行く先が定まらない。だから青写真を作ることが重要。また、これから佐渡を創っていく人が、楽しいと思わなければその運動は続かない。楽しく生き生きと、夢を作っていくことが必要ではないかと思う。 佐渡に限ったことではないが、佐渡だけを見ていると意外と佐渡のことが見えない。蕪栗沼のある田尻町では10人に1人が海外経験者。いろいろな視点が持てる。何かをやろうというときひとつの視点からは見えないことも、別の視点からは簡単に答えが出るということがある。多様な視点を持つということが問題解決の糸口となる」 この後の交流会では、新穂村村長、両津市市長をはじめ、中国と日本のトキ保護活動をつないでいる水田はなか氏の報告、棚田を守る活動を続ける越後棚田サポーター佐渡支部の報告、生椿地区に近い久知河内地区でホタルの里の取り組みを続ける久知河内ホタルの会の報告、そして、野浦の地元学について野浦公民館館長臼杵昭文氏の報告が寄せられました。 このシンポジウムは、述べている通り、まさにはじまりであり、きっかけです。各地の事例を見ても、野生復帰の主体は、地域であり、地元に生活する人々です。 これからの1年で、どんな変化がうまれるでしょうか。来年もまたシンポジウムを開催します。トキとの共生をめざして変わるところ、変わらないところ、これからの佐渡での議論と活動が楽しみです。 (文責 里地ネットワーク) |
2000年11月 トキとともに佐渡(c) 里地ネットワーク