里地ネットワークの活動

2000年10月29日 トキの生息地をたずねる調査&散策会
(新穂村清水平、生椿地区)

 かつて残り少なくなったトキが暮らしていた生椿地区周辺。この集落は海沿いではなく、ずいぶんと山に入ったところにあり、静かで夏でも涼しい山の集落です。かつては9戸ほどの家があり、10数年前からは人が住まなくなりました。しかし、かつてこの集落に住んでいた人たちは、今でも棚田で米をつくったり、野菜をつくるために新穂村のマチから通っています。
 トキが生椿地区を好んだのは、最後まで生椿で暮らしていた故・高野高治さんが、トキのために農薬使用を避け、生椿の人々に呼びかけて、トキとの共存を模索したからです。
 この生椿地区と今は使われていない旧トキ保護センターは山の反対側にあります。
 そこで、この旧トキ保護センターから生椿までを歩き、生椿地区に残る生活の知恵を学ぶ「かつてのトキ生息地を訪ねるハイキング」を開催しました。この催しに、子どもからお年寄りまで60名ほどの参加者が集まりました。

 あいにくの曇り空、今にも雨が降ってきそうな天気です。
 まずは、旧トキ保護センターから生椿地区までの地域の自然を調べながら歩く「たんけん隊」の結成です。動物班、植物班、昆虫班、野鳥班に分かれ、詳しい人、興味のある人がまとまって行動できるようにしました。各班には、地図と色鉛筆が渡され、発見したものを地図上に記入していきます。

 旧トキ保護センターと言っても、今はひとつの建物をのぞいてほとんどすべて解体されたり、朽ちたりしています。かつての田んぼは荒れましたが、池や樹木はそのままに水鳥や魚、ザリガニ、虫、多くの植物が当時をしのばせます。さっそく、昆虫班の子ども達が玉網で池をさらい、アメリカザリガニやカワニナを確認。地図に書き込みました。また、動物班からは、タヌキが貝を食べたあとがあったこと、野鳥班からはキンクロハジロ、マガモ、カイツブリがいたことや、水鳥の巣のあとなどの発見が伝えられました。
 当時の旧トキ保護センターの運営については、佐渡とき保護会の佐藤春雄さんが話をしてくれました。電気も引かれない中で、トキを観察し、山の反対側の生椿地区からは、生椿でトキを大切にしていた故高野高治さんが毎日、自分で養殖したドジョウなどをかついで山をこえ、エサを届けに来ていたことなど、トキのいのちの鎖を守ろうとした人達のエピソードが語られました。
 そして、その故高野高治さんが毎日通ったという山に入ります。
 旧トキ保護センターの周辺は杉の植林がされています。植林後30年以上を越えているそうですが、大きく育った杉は伐期を迎えています。その杉林の地面には、山菜のミズの群落です。生椿までは、それぞれの班で観察しながらのハイキングです。
 雷でまっぷたつに割れたまま立っている杉の大木。紅葉した木々、山道のすぐそばの木々や地面からキノコが顔を出しています。「キノコに詳しい人ォ〜」と叫ぶ女性。「マイタケがあるはず」と、栗の木があるたびに根っこを回る男性。食べものの存在は、人の気持ちを高揚させるようです。
 木の枝が真っ白になっていました。ロウムシで虫が作り出し、昔はロウの代わりに戸などをすべらすのに用いたそうです。
 タヌキやテン、イタチと思われる糞もたくさん発見。中には食べたマタタビの形がはっきりとわかる糞もありました。これら糞も収穫物として採取され、フィルムケースの中に入れられて、みんなの前へ運ばれます。
長年トキの保護を続ける佐藤春雄さん 杉林を歩いていこう。2時間のハイキング

 かつてトキが飛んでいた谷を眺められる尾根には、観察小屋がありましたが、野生のトキがいなくなったあとはそのままに置かれ、まわりの木々が成長して観察窓から谷を見ることはできません。時間の流れを感じさせます。

 山を登り、そして下って2時間ほどで生椿地区に到着しました。ゆっくりとしたペースとはいえ、旧トキ保護センターと生椿の間はなかなか大変な道のりです。
「長かった。高野さんはここを毎日往復していたなんてスゴイ!」という声。
 生椿地区では、故高野高治さんの息子の高野毅さん、大畠氾さん、鈴木岩夫さんの3名が私たちの到着を待っていました。
 人が住まなくなった生椿地区にある建物は、最後まで暮らしていた高野毅さんの家と納屋。納屋は今でも農業用の道具などを置くために使っていますが、使わなくなった茅葺き屋根の家は半分朽ちています。でも、抜けた壁から見る部屋の中は囲炉裏があり、古いカマドがあります。とてもわくわくしてきます。
 そこで、今度は参加者が3チームに分かれ、3人の生椿の人と一緒に地籍が入った地図を持ってたんけんすることになりました。
 水はどこから引いて、どこに行くのか。山の暮らしはどんなものだったのか。トキと人々はどんな付き合い方をしていたのか。雨の中、参加者と生椿の人が自然や田畑と向き合って対話していきます。
 水は沢の奥から引かれ、生活水と農業水に分けて流れていました。田んぼの真ん中から水が湧き出しているところは、沼になり、かつてのトキのエサ場となっていました。
 電気はなく、郵便は届けられない、基本的な暮らしは、この土地がすべてです。
 それでも、「もし、電話や電気が通じるのなら、ここで暮らしたい。水がきれいで、空気がきれいな生椿で暮らしたい」と、案内の方がつぶやきます。

 トキと人間の付き合いを生涯追い求めた高野高治さんは、そのお父さんから「トキは友達」と教えられたそうです。「トキも腹を空かしているんだから、追い払ってはいかん」と。その教えは、高治さんの息子の毅さんをはじめ生椿の人々に受け継がれ、トキの餌のドジョウを購入してきて、水を張った田んぼに放し、冬場のエサとしました。
「驚かせないように、田んぼにトキが降りていたら、作業をやめて遠くで見ていた」
「生椿は家は別々に建っていたが、みんな家族のようなものだった」
 生椿の人々は、70年代に、それぞれの家で子ども達が小学校に通い出すのをきっかけに、親元で育てたいとの思いから、生椿を離れました。それでも、棚田を通じて生椿とのつながりは捨てずにいます。代々受け継がれてきた知恵を誇りに、自分たちが生椿で生きた証を伝えたい。そして、いつの日かまた友達のトキが大空から生椿の棚田に舞い降りることを願って、今も生椿での棚田での耕作とドジョウの飼育を行っているそうです。

 トキと人の共存というテーマに、この生椿地区の歴史と人と自然が答えを持っているような気がしてなりませんでした。


写真は生椿地区の棚田にある水の湧く湿地。
かつては水田だったが、その後、トキのエサ場として冬も水を張っていた。
今も、そのままに湿地としてある。
いつでもトキが帰ってこれるように。



2000年11月 トキとともに佐渡(c) 里地ネットワーク