里地ネットワークの活動

トキの野生復帰を目指して
野浦地区第2回地元学

2001年5月20日(日)
新潟県両津市野浦地区(佐渡)


レポート 長野県飯山市役所勤務 小菅むらづくり委員会 鷲尾恒久(平成13年6月5日)


 昨年10月28日に最初の地元学を行った野浦地区で、第2回目の地元学を行いました。前回は水系に沿って自然と生活現場の「あるもの探し」を行いました。今回はそれをうけ、探した「あるもの」を分類しテーマ別に班分けして調査を深めました。下記のテーマを設け班分けしました。
・山
 (自然風土、動植物など。水系に沿い、さらに7つの班に班分け)
・尊ぶこと
・食
・道具
 今回も、地元のほぼ全戸から参加がありました。また「ヨソモノ」としては、長野県の森林ボランティアのグループ5人、仙台の学生さん、長野県飯山市で「小菅の里」の里地づくりを行っている鷲尾恒久さんが参加してくださいました。
 以下、「尊ぶこと」班に参加した鷲尾さんからのレポートです。

 見える範囲の小さな湾内の、野浦集落。43戸という戸数が、まとまりやすさにもつながっているような気がする。南側は海で、県道が走り、集落裏の北側には20haを超える基盤整備済みの棚田が山の中腹部まで伸びている。聞けば、中山間地の協定に基づく支払金額は四百万を超える額という。民宿はあるが、いわゆる観光開発には無縁、と思われた。
 この日の地元学に参加したのは、子供からお年寄りまでの幅広い人たち。一戸に一人は参加しているように思われた。全員参加で、と事前に聞いてはいたが、仕方なしで言われたからという感じでもなく、それぞれの明るい笑顔にこの集落の持つ活気(力)が感じられる。それにしても、どうしてそんなに多くの参加が得られるのかという疑問が、頭の中に引っかかっていた。時を読み、気に応じて動ける人がいて、求心力のある区長がいるということが一つの要因なのかなと思う。
 7〜8人ずつの班分けで、私は「祈り」のグループに参加。主題の性格上、比較的高齢者のグループとなった。お寺や神社、石造物などを中心に集落内外を歩いた。地元の人たちに説明を聞きながら、事務局が記録していく。
「お念仏は、ほとんど毎月といった感じで行われます」
「年末から年始にかけては、総出であちこちの参拝をするんです」
「賽の神の時には、ばあちゃんが何日もかかって作った、色々な色の紙を縫い合わせた袋を女の子が持って」
「土石流があったときも、このお堂は無事だったんです」
 小さなお堂の中では、二人のおばあさんが時を過ごしていた。外のすぐ脇では、鍬を振るうおばあさん。昔からの、良い形での信仰心(宗教感)がまだまだあって、これが自然や人とのやさしいつながり、お年寄りへの敬いに結びついているのかなという思いが残った。
 オドリコソウの咲く野辺の道に、まだまだ帰化植物に犯されてはいないふるさとを見た。小さいながらも小学校があり、集落のはずれには伝統芸能を伝える施設が建てられている。
「イカを専門にやる人もいますが、私はトビウオです。獲ったものをあぶり、毎日使うんですが、500匹もあれば十分です」
 舟は、全戸が持っているという。海と会話し、野山と語らい、子供に話し、お年寄りと対話する住民たち。切れることなくつながった人と人、人と自然のネットワークが見えてきた。これこそ地域資源であり、宝物と思われた。かつて、お年寄りが地域のあらゆる物や事を子供に語り、伝えることで、その存在感を示した。テレビが語る、東京発の情報だけではどうにもならないことを強く感じた。
 この日の夕方飯山に戻り、妻と二人「雨あがる」の上映会に参加した。現在ロケの行われている「阿弥陀堂だより」が野浦の集落事情とダブり、妙に気持ちの高ぶっている自分があった。

道具班。田んぼでどじょうなどをすくう道具です。
今もきれいに手入れされていました。
食調査班。家の中には様々な保存食があります。
豆が何種類も出てきました。



2001年5月 トキとともに佐渡(c) 里地ネットワーク