第4章 協働公益活動の創出 (協働公益活動の合意形成及び逆システム学による検証)
第4章 協働公益活動の創出
1.多重フィードバックと制御系が地域共同体に果たす役割
多重フィードバックの段階
地域共同体の環境政策の検討の場や、地域の活性化のための寄り合い等に参加する機会は、仕事柄、年に何十度もあるが、
このような話し合いの場では、共通するいくつかの「反応の束」がある。それらの反応の束から、
以下の基本的な地域共同体の立場や成熟段階を判断することができる。
(1) 個人、集落の収益につながるか否かの検討を行う段階
(2) 集落の今を再確認しようとする段階
(3) 本質的な課題をさけ、一過性の事案として処理しようとする段階
(4) 本質的な問題の共有を行うために、共同体全戸の総会等での報告等を必要とする段階
(5) 多様な価値観を認め、事前の包括的な集落合意がる事項に関しては、個々人の活動を尊重して批判せず許容する段階
ある事案が、議案に上がったとする。その事案に対する反応は、非常に多様で、個々人によっても、地域共同体によっても、 いくつかの方向に分かれたその反応の束は、束毎の強弱や方向性が異なるのが特徴である。しかし、おおむね、この多重フィードバックは、 その結果から、原因を追及すると、地域共同体が見落としていた特徴が現れてくる。その反応の束に耳を傾けることは、 地域の個性や特徴の理解につながることになる。
越えられない本質的な問題の壁
ある事案の検討中、(4)の作業を経ていれば、集落活動を前向きに進める働きを、
参加者のいずれかが調整役となり地域共同体の意思として決定することができる。
しかし、(4)の過程を経ていないと、議論は、さまざまな方向へ転位し、収集がつかない状況に陥る。この状態は、個々人が、
地域共同体の全体の課題を把握していないために、個人の利害や、部分的な情報を元に議論するため、不毛な議論として終わることになる。
せっかくの調整役の提案の趣旨も理解されない。このような現象は、参加者間で、
集落の過去から今に対する現状認識の共有ができていないために生ずる現象である。このため調整役の調整案を、
一つの提案や意見として受け取め、耳を貸さずに、結果として会合は一過性の事案として扱う(3)の妥協で終了することになる。
ここで把握しておかなければならないことは、この多重フィードバックと制御系という、集落の一致した合意形成を行うためには、
その基盤となる、集落の過去から今を参加者全員が把握していることが重要である。この現状認識が共有されていてこそ、
多重フィードバックが意味を生み、制御系の働きに、参加者が共感することができる。
2.公共政策に果たす地域社会(個の集団)の役割の重要性
公共政策への希薄な国民意識
私は、各地の環境政策の推進のために地域社会に入ることが多いが、この度に痛感するのは、公共政策の浸透度合いは、
経済に置き換えられたときに、はじめて全体に波及し浸透するということだ。例えば、温暖化対策の広報は、方向性を示す提案であるが、
この提案が機能するのは、石油の市場価格が上昇した段階で、誰でも燃料を節減しようとするため、設定温度を調整したり、
我慢のレベルが一歩上昇することになる。この段階で、冷暖房の温度は、政府公報の暖房20度、冷房28度が着実に守られ、さらにいえば、
暖房18度、冷房ではなく除湿の設定にすることぐらいは、どの家庭でも実施してしまうことである。さらに、より積極的な人は、
屋上緑化や薪ストーブの導入の検討を行うようになる。
メディアもその基調をとらえ、もっと節約するには、というような特集を組むことになる。このような国民の意識と動向は、
地域共同体や個人に経済的なメリットを受けない場合の例で見ると、施策や施設を受入るか否かは、
自分と地域共同体が直接の関わる必要のない事項としてとらえ、他人の趣味の範疇のような形で聞いているケースが多い。だから無関心であり、
自分や地域共同体と関係のないところで行われるなら問題はないが、
自分自身や地域共同体に降りかかる事案は終始拒否するか無関心無関係な態度を表すことになる。
経済以外にも、企業向けの環境基準や、資格制度の基準、学校教育の中での単位など、何らかの社会システムの中の基準や強制措置、
罰則等がないと、日本では、環境意識や倫理、道徳に頼っていたのでは公共政策への協力が得られにくいのが現実である。
個人と地域共同体の価値感とパラダイムの転換
一方、地域社会に目を向けると、個々のバラバラな意識とは別に、地域共同体として公共政策を受け入れるケースがある。
集落の合意形成に基づく地域社会への浸透度は、集落の維持管理を行っているという自治の意識とコミュニティーがあるからこそ実現できている。
この場合、地域特性と集落における個々人の関心事、集落全体の課題や問題点を集落住民自身が把握した上で、
その半歩先の解決策の一つとしての公共政策の実施(導入、普及啓発等)を行うことが理想である。かならずしもこのような場合のみではないが、
双方の半歩先にメリットを感じれば、合意が可能であり、かつ、永続性が保たれ、政策の効果があがりやすい。
個々人の関心事の抽出や、集落の課題、問題点の把握を怠り、本質的な議論を怠ると、施策は上滑りする。言い換えれば、
施策の集落への浸透や、継続は、集落の自治意識という基盤の上に、各自の関心や、集落の課題、問題点を掲げ、半歩前進する形で、調整役
(制御系)が、機能するメカニズムである。
一方、市街地においては、個々人の暮らしと、地域自治との連動はほとんどなく、地域社会や組織への帰属意識を前提としていないため、
地域共同体のようなしくみで、事前の包括的な合意形成を得ることは不可能か、非常に困難である。但し、市街地では、
コンセンサス会議のように、陪審制度を模範とした任意に抽出された素人集団の合意を、社会的合意形成とみなし進める方法や、
市民団体や地域団体の幹部等との合意形成手法を用いた、社会的な合意により、十分であるという見方もある。しかし、ここで最も重要なことは、
環境政策等の実施を地域住民全員で、ないしは、国民全体で推進するには、何らかの、実感、
その施策に参加する基本的な内発的な動機づけがないと、浸透しにくいことである。
シートベルトの罰則制度や運転中の携帯電話の利用は、罰則と厳しい取り締まり措置により徹底されたが、
冷暖房の無駄遣いによる温暖化というような地球全体の課題に対しては、罰則がない。また、
未来の世代の生存を危うくするような化学物質の利用や漁獲資源を減少させるような工事への規制がないのも日本社会の現実である。
これらの自体に対して、市民、地域共同体が自らできる防衛策や、環境政策を推進する側が、まず、考えておいた方が良いことは、
足下を見つめ直すことである。各地域社会において、昔ながらの区会とは異なる、新たな地域共同体が機能するような、
地域の見直し作業を行っている場で、効果的な環境政策を繰り返し、その成果を元に、将来に向けて、
全体化するための法的な措置を構築することが一見遠回りなようで、比較的短い時間で達成可能なパラダイムの転換方法である。
3.公的主体としての「制御系」の意義と役割の考察
崩壊集落の農地、山林と自然災害
地域社会の維持機能が低下する中で、特に、農村の棚田や農地の管理は、かつては、農業生産行為の範疇にあったが、昨今は、
生産性が低く経済的な採算が合わないために耕作放棄が進み、放棄による農地のひび割れ等を原因とする土砂崩れや、
森林の管理不足による地滑りなどが各地で発生している。また、山の維持管理を行わなくなったことからくる鳥獣被害、
ヤマビル被害などが拡大し、山林、農地、集落の維持に、新たな公的な役割が、うまれはじめている。
崩壊集落における土砂災害は、風雨による自然災害や地震によるものであるが、鉄道や道路がこれにより閉鎖されれば、集落内の問題から、
社会的な事態へと転換し、被害の影響や危険から重要性が増し、原因である放置されていることの危険がこの段階ではじめて明確になる。
かつては、個々人の家とその周囲の山は、地権者である集落構成員の管理地だったが、集落崩壊に向かう段階の集落では、過疎化や高齢化により、
農地、山林の維持管理は、行われなくなる。農地は、この段階で自然環境等と同様、公的な管理や予防の必要性が生まれはじめる。
公的主体としての集落組織とNPO
平成12年誕生した「中山間地の直接支払制度」では、集落協定に基づき、一定規模の農地を5年間継続管理することを前提に、
補助金をつける制度が生まれた。また、新たに、平成19年度からは、環境に配慮した水田には、
中山間地の条件を取り外した環境支払いが行われることとなった。農業生産とは異なる農地の維持管理は、あらたな環境保全活動として、
食糧生産とは異なる補助金が創設されたわけである。この主体になるのは、これまでは、
農家自身が農業生産を営むことに対する補助金であったが、環境支払は、集落営農組織、ないし、自治組織等が主体となり、
これまでの農業政策と根本的に異なる点である。
一方、耕作放棄している農地に関して、行政、NPO等は、地権者に対して、耕作の要請を行い、できない場合には、
NPO等への農地の貸与を義務づけている。これは、農家に変わる管理主体として、NPO等が、
農地の管理という環境管理を担当したことになる。
また、NPO及び地域組織に対する公的な役割が、さまざまな分野で拡大していることも、これまでと異なる公的主体の誕生を裏付けている。
市街地では、同様に、さまざまなNPOやボランティア団体が誕生している。まちづくり協議会や、まちづくり株式会社、
公園管理のサークルなども、住民自治の側面から、環境政策や福祉政策を担う公的主体の役割をはたし始めている。
新たな公共事業の萌芽
新潟県では、平成13年度より、毎年、20程度の県内の字単位の集落を対象に、集落計画の作成を公募し、
県と市町村職員が各集落事に全部局より1名づつでて、事務局を編成し、集落ビジョンの作成とビジョンに即した公共事業を行っている。
高知県では、平成15年度より、県職員60人前後を、各市町村に1名前後、割り振り、ふるさと応援隊として、
担当地区の集落に張り付いた支援活動を行っている。
神奈川県では、平成16年度より、県環境農政部と市町村が連携して、里山集落の自治会、または、NPOと連携した、
里山と農地の活性化を進めている。
また、環境省では、平成13年より市民企業政策提言フォーラムを開催し、市民、企業等からの政策の提言を、
環境政策の中に取り込むよう事業を進めている。
このように、かつての公共政策、公共事業は、道路や港湾の建設のように、行政が行うことを前提とした事業であったが、
今日の公共事業と公的な役割は、小さな政府、小さな予算をめざしている側面もあり、自治組織、NPO等との連携、
協働を前提とした事業の創出に向けて年々期待が高まってきている。
4.集落における制御系とは何か
集落会合の基本的なスタンスとスタンスを変えるコーディネーターの役割
集落計画を、地域共同体の構成員と共にたてる際に、良く経験することだが、それぞれの個人が、どのような立場で、
どのような立脚点の上にたった発言をするか、または、発言はせずに、抑制するかを見ることは、地域性を見る上で非常に興味深い点である。
特に、任意の協力を促すような場合の反応は明確である。
(1) 集落での経済的メリットがない場合は理解をしめさない: 実施不可
(2) 理念がわかれば調整を試みる: 部分実施からの試行的な導入
(3) 一部の理解者が理解を示すが調整されないまま会議は終了:集落としては不可
(4) 調整会議の開催: 理解層を増やし協力を得るため再度会議を設定:条件付実施
特に、私の場合は、地域共同体に、生物多様性の保全、自然環境の保全、保護や地域資源を活用した地域のづくり、
3Rの域内推進や景観の保全、不法投棄の予防等を要請するケースが多い。このような要請の場合、要請に応じたとしても、
集落や個人には現時点での直接的な経済的なメリットはなく、長期的な視野で、地域の活力が増したり、集落内の美化や生物多様性の増加、
こどもの育つ環境は向上するが、一方で、住民の日常的な作業や協働が必要となるため個人や地域共同体に負担がかることとなる。
市街地における暮らしのように、労力を出さずに、行政に依存する暮らし、お金との交換で暮らしを要望するタイプの生活の場合は、この要請は、
理解されないどころか、非難の対象となる。
このような状況の中で、どのような集落でも、一定の制御が働く。その制御とは、人体における制御系と同じように、
さまざまな主体からの反応が、束となって現れてくる。この多重フィードバックと制御系の意味は、
集落におけるさまざまな個の多様な反応があってはじめて、制御系が働いてくる。言い換えれば、利害を代表する長の意見は、
集落を構成する個の意見の集約ではなく、病理でいえば、一部の表面化した疾病であり、その意見への対処は、
これまでの要素還元論的な処方であり、もし、共同体のメンバー全員が発言したとすれば、その背景や方向性に対して収集が付かない状況、
すなわち、要素が増えるに従って分析が困難になる複雑な要素と反応への対処が必要となり、会議の継続(会議の場での検討や解析)
が困難になる。しかし、逆システム学の思考に立てば、反応の束と制御系の役割ととらえ、その反応の束の方向を、適正な制御の方向へ戻す、
ないしは、制御の方向を変えることにより、環境政策を浸透させる方向へ処置を行えば、生命体の病気が改善してゆくように、自然治癒的に、
共同体は、環境配慮に向けて、成長してゆくこととなる。
これまで、地域社会は、個人又は地域共同体への直接的な利益調整を、行政との会合(合意形成)と捉え、
経済的な側面から高齢者の男性を中心に、公共施策の調整を行なってきた。しかし、自然と調和した持続的な社会、
少ない予算で効果的な公共政策が期待されているため、利権の誘導をともなわない公共政策が必要だ。ここでの問題は、どの地域も、
これまでの地域社会の会合が、予算や補償の裏付けがあって行われてきているものが多いため、地域社会の将来を考えるような本質的、
根本的なテーマの会合を受容する機運がないことだ。この点から、集落の会合に行政マンが行くと、これまでと同様のペースで、「・・・で、
内容はわかった。で、どういうメリットがあるのか説明してくれ」といういつもの論調で、内容の理解はさておき、経済的なメリットの有無、
大小で、事業や提案を受けるか否かの議論に終始することになる。
これが基本的な集落のスタンスであるが、この戦後養われたスタンス(遺伝子とでもいうべきか)を変えるのは、
新たな価値観を確固たる態度でもった行政マンやコーディネータの手腕にかかることになる。もっとも、2007年以降は、
農村の環境配慮への新たな直接支払制度等の新設により、汗をかくことからはじめる事業が広まることにより、徐々に、
新しい予算制度が出そろうことで、予算メニューの変遷を示し、半歩前に進める地域共同体が、さまざまな施策を始める機運が高まる。
このことで、地域共同体の構造は、半歩前進し、多少なりとも変化することを期待したい。
5.地域共同体における制御系の働き
集落における制御の束とは、コーディネーターや調整役のことではない。個々人のさまざまな意見、 集落の過去から現在までの実情を認識した上で、暗黙の内に、出席者に見えてきた、マイナスの方向と、プラスの方向、 「このままでは誰もがいけない」と感じたことと、その反応として、「行わなければいけない」という誰もが自覚した内容である。 集落の全員が認知したとすれば、暗黙の規範に近い存在ともなろうし、会合に参加していない人にも、伝わりやすい内容である。 集落の実情を掘り下げたとき、将来に向かって放置できない現状と言ってもいい。どの集落にも集団にも、 認識しておかなければいけない過去から現在までの経緯や経過がある。そして、特に、集落においては、 取るべき対応を取っていない集落が多いために、この制御の束は、集落の過去から今を見つめ直したとき機能する集落の自律的な働きである。
制御系はどの方向に機能するか
自律的な制御系は、一定の方向を示しながら、特定の力学を生む力ではない。自律的な制御系は、
個々人の過去から現在までの生きてきた経緯や経過、集落の過去から現在までの集大成の結果、働く力である。集落の中で、
今を生きる個と共同体に関わる個や集団、そのそれぞれの個と集団が、暗黙裏に了解され、または、
ワークショップ等によって浮き彫りになった集落像をもとに、その大きな方向に反しない、それぞれの活動が、集落によって容認されてゆく。
言い換えれば、制御系とは、一定方向への肯定的な反応であり、逆戻りを許さない、一定方向への水や風の流れのようなものである。
その流れに反する活動が、集落では行いがたくなる。制御系とは、個人や地域共同体を存続させようとする、生命力のようなものである。
6.制御系の構築方法
市街地における制御系の働き方
人体の病理は、常に、症状として顕在化する。しかし今の社会システムの場合は、動脈硬化を起こしていても、症状を認識するシステムも、
警告するシステムが麻痺している。ひとつひとつの集落を見つめたときに、活力ある集落であって欲しいと願うのは、
その集落を守る高齢者だけではなく、新たな世代の若者の中にもいる。
市街地の場合は、病理を検知するシステムは、これまでは行政が担当していた。ライフラインや救急医療、交通、食糧、など、
これまでの社会では、自治会が担当してきた部分が大きいが、市街化の影響で、自治会は機能を弱め、
個々人が関与するケースはいくつかの例外を除き皆無に近づいた。しかし、阪神淡路震災をはじめとする全国各地の地震や、
ナホトカ号をはじめとする重油災害、台風や津波による自然災害では、行政のしくみだけでは、十分な機能を果たせず、市民活動、
ボランティア活動が行政を補完する新たなシステムとして機能した。現在は、このサブシステムを組み込んだ新たな公共政策、
公的活動が展開されるようになった。市街地の場合、行政システムを補完することで、個々人の意識や、個々の敷地内での出来事を別とすれば、
地域社会の表層は、活性化し、まちづくりは、機能していると評価されている。
集落における制御系の働き方
一方、集落の場合、個の集団としての地域共同体が、地域社会の維持管理を行っているために、市街地と異なり個々人の参画が不可欠である。
行政の関与は、最低限であり、また、NPO等の支援も、日常的に農的作業を行っている集落住民の技術力や効率的な作業方法には、
遠く及ばない。しかし、集落住民だけでは、刺激がなく、また、新たな風や情報、人が入らなければ、集落の中に変化が起こらず、
活力は生まれない。
制御系が前向きに機能するためには、地域共同体の中に風を送り込み、その機能を発揮させる方法がある。これまで、
さまざまなワークショップや地域づくり講座が行われてきたが、十分な成果を上げ地域共同体を変えた取り組みは、数少ないように思える。
さまざま取り組みの中で、集落に活力を与え、持続的な力を発揮している取り組みには、いくつかの共通点がある。
・ 集落を構成する個の多くが参加、または、参加する機会が十分ある
・ 集落の過去から今が、参加者がわかる方法で確認されている
・ 集落住民、行政、学校、関連する組織やNPOとの情報が共有されている
・ 地域住民の意識、参加者全員の意識や考えを、わかりやすく表現できる技法や人がいる
・ 集落を半歩前に誘導するコーディネーターのあとおしがある
などである。
活性化の事例として私が着眼している事例は、風土舎の哲学や「暗い感情」(玉井袈裟男1980)
をバネとして婦人会を中心に集落の課題を解決していった取り組みの中にある。風土舎は、長野県内のほぼ全域で活動実績があり、特に、
飯田市の上久方風土舎や、小川の庄のおやき村など、さまざまな事例がある。
この制御系は、集落で暮らす個々人を、互いに相手を尊重し、全体を尊重することから始まる。しかしながら、過去数十年、 集落内においても、個々の家や行事の参加は、高齢者に限られ、壮年層、若年層、こどもたちが関与するケースがなくなってきている。 高齢者が先人から継承してきた智恵や技術、文化はもとより、水の経路、林の管理や境、水利なども同様である。また、食品を買う生活が浸透し、 集落内で自生ないし繁殖させたような山菜類や、薬草、果樹などの活用もしなくなってきている。
もうひとつの大きな成果は、水俣を再生した吉本哲郎の地元学である。水俣市内32地区のコミュニケーションを活性化し、
環境再生を行った方法論を後にふりかえり地元に学地元学と命名した方法の体系である。
2006年02月04日 [レポート]